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クレイジーラヴ
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『クレイジーラヴ』に投稿された感想・評価

すえ
4.2
記録

シネ・ヌーヴォ【反万博特集上映】にて。この時期に世界で一番万博会場に近い映画館でこの番組を組むシネ・ヌーヴォ、連日トーク付き、痺れるぜ〜。

Filmarksに登録されていない『いなばの白うさぎ』、『The Walking Man』、『愛の浅間山荘』についてのメモとしても使用する。

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・加藤好弘『いなばの白うさぎ』(オリジナル版/132min/1970)☆4.5

本作では、男性的な欲望(視線)に蹂躙される女性、家父長制を内在するあらゆる制度・規範に束縛された女性のイメージがある。そして同時に、家父長制の具体としての男性を踏み渡る女性の鮮烈なイメージも存在している。これは因幡の白兎の神話になぞらえたかたちで再演(変奏)されており、男性(ワニ)を踏み歩く女性(ウサギ)が強烈。背中、鳩尾、股間、ありとあらゆるところを踏みつけられる男性の苦痛に歪んだ顔が離れない、痛そ〜。

そして新たなる共同体のビジョンとしてゼロ次元が提出したものは、アンドロギュノス的な性別が無化されたそれではなく、禁断の果実を喰らう前のアダムとイヴの状態、すなわち最も純粋無垢なユートピアなのではないだろうか。罪も恥もない世界で、彼ら彼女らはひとつの共同体となって笑い合う。そのビジョンが、劇中幾度も反復されてきた「儀式」がラストの(近代的)ファミリーのなかで、衣服を纏いながら繰り返される時、抑圧を超克した共同体が生まれる。その理想郷の一端が現れる際の多幸感の巨大さ(2時間以上男女の全裸を見続けたことからの解放という実際的な問題もある)。映画の終わりから始まるということ。
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・加藤好弘『いなばの白うさぎ』(スペシャル・エディション[2017]/46min/1970)☆3

これはガチャガチャしすぎてあんまりだった。二面マルチで映し出される「儀式」は、オリジナル版より多くのハプニングで構成されていたが、右側はほぼオリジナル版の短縮版であった。左側は確かに、オリジナル版で見たような「儀式」を公共の場でパフォーマンスする映像で構成されており、新たに大衆(他者)の視線が画面に内包されている状態の発見があった。
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・岩田信市『THE WALKING MAN』(15min/1969)☆3.5

これは最初よく分からなかったが、名古屋市内を闊歩する岩田信市をキャメラが並走し側面から撮り続けるといったものである。彼の歩行する身体と、激しい音楽、映される土地(風俗)がセッションを行い、その当時の名古屋の土地の正体を顕にする。「THE END LESS」で始まり、「THE END LESS」で終わる。
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・岩田信市『愛の浅間山荘』(16min/サイレント/1972)☆3.6

この時期にはゼロ次元の終焉が迫っていた。岩田と原は、二人であさま山荘事件をテレビで眺めており、これを愛の劇として変奏できるのではないかという発想から生まれた。裸体の女性が(人質になった管理人の妻)泰子さんとして、黒ヘルが警察、赤フンが赤軍として表象されていた。名古屋大学の豊田講堂(槇文彦設計)で行われたとのこと。
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・岡部道男『クレイジーラヴ』☆4.2

全てをコケにしたような感が大好きだ、警察も、社会も、国家も、(映画も音楽さえも!)全部バカヤローである。映画的に優れているかと問われると首肯はできないが、ここまで自由闊達な映画があること自体俺は嬉しい。性にも、制度にも、規範にも、何にも縛られることなくやりたいことをやれ!全てをコケにするだけの愛がここにはある、これだけ楽しく映画を創れるのは羨ましい。

土方、大野くらいしか知らんが舞踏が野外でしかも公共の場でサプライズとして行われているのに吃驚した。

ナンセンスで最高だった、楽しませてこそなんぼだ!

2025,95本目(劇場37本目)、96本目(劇場38本目)9/5,9/6 シネ・ヌーヴォ
3.7
『俺たちに明日はない』『夕陽のガンマン』『勝手にしやがれ』……など当時、日本のサブカルチャーに大きな影響を与えていただろう様々な作品をオマージュし、その権威へのクィア的な解体を試みている奇妙なアングラ映画。
映画が好きな人なら激怒しかねない挑発的な引用の連続で、眉をひそめる箇所もあったが、過剰さと皮肉的な笑いを用いることでゲイ文化を凝り固まった既存の価値体系に認めさせてやろうというような勢いを感じる。
素晴らしいのは『夕陽のガンマン』的な決闘シーンでリボルバーに手をかけた男たちがどんどんと互いに近づいていき、緊張が頂点に達した時、キスをしてしまうシークエンスだ。デュエルという双数的な暴力の場が、同性という他者との“同じさ“によって結ばれるゲイというセクシュアリティによって愛情に変わってしまう。警官と活動家のような男が腕を組んで歩いていく一連のシークエンスも同様だが、本来は暴力的な関係で結ばれた当事者同士が同性愛によってその関係を反転させ、融和を生み出すというセクシュアリティの無限の可能性を感じさせられる。
ゼロ次元を収めたフッテージも加藤好弘が監督した『いなばの白うさぎ』と比べると明らかだが、より同性愛的なイメージへと換骨奪胎されている。加藤の場合は白うさぎである女性が雄鮫である男性を踏みつけていくといったSM的なイマジネーションを利用した女性の聖性の強調がなされていたが、本作では紐で結ばれた裸体の男性たちや覆いかぶさる男たちなどもっぱら男性同士の絆の表象として取り上げている。
岡部自身が銃を持って異性愛者のカップルを撃ち抜いていくシークエンスが象徴的だが、映画全体がそれまで異性愛者のものであった銃=ファルスを同性愛者の手に取り戻すような試みであると言える。
SW326
4.1
60年代反芸術パフォーマンスの記録映画であり、短編映画の詰め合わせであり、音と静止画と記録映像のスクラップブックでもある。ただ記録映像と音声を重ねてるだけじゃなく、ちゃんと劇映画的にセリフが入るシーンもあれば、もっとラフに編集されてるシーンもある。

プロレス(立ち回り)もラブシーンに通じるってのは何人かの人が言ってるけどもうこの年代でそれは発見されてたのな。

“世の中にしていけないことなんてないよ、したいことをするのが人生ね。俺もよくフーテンしたな。”

キャストとスタッフのクレジットが映画の中半に流れる作品を初めて観た。