パングロス

METライブビューイング2023-24 ビゼー「カルメン」のパングロスのネタバレレビュー・内容・結末

3.9

このレビューはネタバレを含みます

◎ヒップホップスター カルメンのトラックロード

METライブのカルメンと言えば、ガランチャがタイトルロール、アラーニャがホセの回(指揮はヤニック・ネゼ=セガン)が印象に残っているが、2010年1月16日の公演だったとのこと。
もう14年も前にもなってしまったとは!
年取るわけだ。

その時の演出はリチャード・エア。
確か時代設定とかはト書き通りだったはずだが、なかなかシャープで無駄のない舞台装置だったし、何より出演者全員が緊密な演唱を見せてくれていた。
何よりガランチャのカルメンが、知性を感じさせながら超美形で男を翻弄するさまに惹き込まれ、アラーニャの振られ男の逆上ぶりも迫真で、また観たくなるほど高水準の舞台だった。

さて、今回は、イギリスの女性演出家キャリー・クラックネルが、舞台を現代のアメリカに移した読み替え演出。
幕間で、あらかじめ収録されたクラックネルのインタビューが流されたが、美しく知性的で穏やかな話しぶりの女性だった。

全4幕中の終幕以外で、一台の大型トラックが形を変えて舞台に登場し、本演出版におけるアイコニックな存在感を示していた。

第1幕は、原作のタバコ工場を軍需工場に読み替えたと幕間に説明があったが、観ているだけではわからず、ピンクのユニフォームを揃って着ている女性陣と兵士たちとの関係性がいささか掴みづらかった。
軍需工場と言っても、フェンスで隔てられた外観を見せるだけなので、正直いかなる場所なのかヒントに乏しかったし、アイコニックなトラックも舞台右寄りにキャビンを見せるだけだった。

秀逸だったのが、第2幕。
前幕で逮捕されたものの脱走したカルメンは、仲間たちと、走るトラックの荷台を開放して自分たちの舞台として遊び狂う。
本幕冒頭の、いわゆる「ジプシーの歌」は、この荷台舞台でカルメンが肩を揺らしながら、まるでヒップホップのようにノリノリで歌い踊ると、自由な服装の仲間の女たちも、それぞれ自分流のノリ方で踊っていく。
荷台の空間は女だけなので、レズビアニズムを感じさせるエロスが横溢する。
この場は、ビゼーの音楽そのものを見事に現代のヒップホップに変じさせたという意味で本演出版の白眉だった。
曲後に起こった拍手が、この読み替えの妙に感じた観客の驚きを伝えていた。

カルメン役のアイグル・アクメトチナは27歳の若さ。
深い響きをもつメゾソプラノだ。
本演出の意図を体現し、ヒップホップ女王のノリと威厳を見せつけてくれた。

このトラックに並走する形で、ロデオチャンピオンという設定のエスカミーリョ一行の車列が通りかかるという演出も面白い。
自動車のタイヤは、走る時は本当に回転し、停車時には回転も止まる。
背景は、シンプルな電光管が平行に設置され、点滅して走行感を演出する仕掛け。

ただ、エスカミーリョ役のカイル・ケテルセンは演技者としては大根(バスバリトンとしても表現力に乏しい)で、アクメトチナのようには演出の意図を活かせていなかった。

やがてトラックが停車して、ガソリンスタンドのシーンになる。
そこに現れた、かつてのホセの上官スニガは(中国系だろうか)ウェイ・ウー。深みのある豊かに響くバスで、表情管理も上手い演技巧者だ。

第3幕は、メキシコ国境近くの密輸団のアジト。
トラックは横倒しになっている。

トランプ占いのシーンは、第2幕に続いて、ヒップホップなファッションに身を包んだフランスキータ(シドニー・マンカソーラ)とメルセデス(ブリアナ・ハンター)の2人のソプラノが、見事な二重唱を聴かせた。

可憐なミカエラは、黒人ソプラノのエンジョイ・ブルー。可愛いのだが、それだけにとどまっている感じで、歌、演技とも深みに欠ける。

第4幕は、闘牛場に替えて、ロデオ会場。
普段は野球場として使用している設定のようだ。
観衆を載せたスタンドが廻る仕掛け。

闘牛士登場シーンは、アイーダの凱旋行進曲やマイスタージンガーの親方たちの入場と並んで、大人数を使ったグランドオペラちっくな豪華な舞台が期待されるところ。
しかし、本演出では、ロデオ選手たちの入場に歓呼する観衆と、それを煽る応援団役のピエロたち(バレエ団ならん)しか見せないので、いささか貧乏ったらしい。
エスカミーリョも、ほとんど目立たず入場する始末。

本幕のメインは、スタンド裏の暗がりで行われる、ホセとカルメンの暗闘から刺殺へ急転するバッドエンド。
本演出では、ホセから身を守るべく、カルメンが近くにあったバットを手に取るが、逆上したホセに奪われて、ホセはそのバットでカルメンを撲殺するという展開。

このフィナーレまで、正直、不完全燃焼気味だったホセ役のピョートル・ベチャワが、人が変わったように入魂の歌唱と迫真の演技を見せ、いかにも、たまたま手に取ったバットを衝動的にカルメンに振り下ろした感じがよく出ていて、実にリアルで凄味があった。

本演出版の殊勲賞は、何と言っても、アイグル・アクメトチナ。
歌唱、そして演出の真意を汲んだ演技とも申し分ない。

METの常連テノール、ベチャワも、今まであまり上手いと思ったことはなかったが、フィナーレだけは素晴らしかった。

指揮のダニエレ・ルスティオーニは、素顔もかなりのイケメンさん。
「ジプシーの歌」でのロッシーニ・クレッシェンドを思わせる加速ぶりは良かったが、全般に軽量級だったことは否めない。

キャリー・クラックネルの読み替え演出は、非常に良く出来ているところと、舞台栄えしない場面との落差がかなりある。
今後、手直し改善を加えていけば、彼女の演出による映画化も夢ではないと感じた次第。

よって、スコアは、敢闘賞の 3.9

【参考】
松竹 METライブビューイング2023-24
新演出 ビゼー《カルメン》
www.shochiku.co.jp/met/program/5489/
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