CHEBUNBUN

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章のCHEBUNBUNのネタバレレビュー・内容・結末

1.5

このレビューはネタバレを含みます

【夏休みと永遠】
浅野いにおの同名コミックを映画化した『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』の後章がようやく公開された。前作の評判の高さに反して、SNSでの評判は芳しくないように見える。私自身、前作は宇宙人言語の作り込みに感銘を受けたところがある。ところが、蓋を開けてみると、苦々しい結果に終わってしまった。今回はネタバレありで本作について語っていく。なお、酷評となっているので要注意だ。

私は唖然とした。前章であれだけ、作り込まれた独自の宇宙人語で人間との意思疎通が取れない様を描き、観客をも共犯関係に導いたのにあっさりとその関係性を捨て去り、奴らが日本語を話していたことに。これは当然ながらギミックであり、宇宙人同士は言葉が通じる様を描いている。映画としても中盤になると、宇宙人目線から日本人を見ると独自の言語を喋っている得体の知れない存在に映る逆転であることが説明される。だが、アイドルの大葉に擬態した宇宙人以外日本語を喋る必要があったのだろうか?もちろん、この逆転のギミック自体はディスコミュニケーションを主軸とする本作において重要なものであるが、あまりに不要な日本語描写が多すぎる。

冒頭の場面では、人間から逃げる大変さは画だけで伝わるはずである。また、宇宙人の地上アジトでのやり取りも、人類への抵抗か逃亡かしか選択肢がなく、運動で容易に観客へ状況を伝えることができる。にもかかわらず日本語を使って会話描写を入れるということは、我々観客を信用していないと思えてしまうのだ。

また、前作のギミックとしてオンタンの記憶から欠落した過去が描かれる。この説明がここでなされるのだが、原作もそうらしいのだが、並行世界として処理されている。つまりなんでもありになってしまう危うさがある。ここで重要となってくるのは門出とオンタンの絆であろう。時空が変わっても繋がる友情をどこまで描けるのかが重要となってくる。世界を救うも滅ぼすも二人がキーとなってくる。しかしながら、ノイズとしてアイドルの大葉に擬態した宇宙人が間に入ってくる。それだけでなく、地球の危機を救おうと彼が頑張ってしまうのだ。これにより映画は横滑りしてしまい、二人の関係性がどうでもよくなってしまう欠陥が生まれてしまう。

ただ、良かった部分も多少はある。世界が終わろうとしているのに、時間が引き延ばされたような大学生活が続く。大学生活はモラトリアムであり、夏休みのようなフワフワしたものがある。「永遠に続くといいな」という願望の先にあるものは何か?それは虚無である。その虚無をオンタンの兄が背負っていたわけだが、東京の終わりとともに彼女らに継承される。セカイ系の物語として、キャラクターとキャラクターが繋がっており、そこは良かった。

なので、結果的にイマイチを通り越して腹立たしくなってしまった。海外公開する際はアニメシリーズとしてやるそうだが、最初からそれで良かったのではないかと思う。そして、宇宙人の設定が明らかにイスラエルとパレスチナの関係になっているのだが、海外のアニメファンはどのように本作を受容するのか気になるところがある。

P.S.ところで大葉宇宙人が電話でいろんな言語を駆使する場面でአዎ(アウォ)とアムハラ語を使っていたように思えるが気のせいか?
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