ナガエ

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章のナガエのレビュー・感想・評価

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いやー、やっぱり面白い!前章から2ヶ月待っての後章公開。普段の僕なら前章の内容を結構忘れちゃうと思うんだけど、案外覚えてました。設定的な部分はなかなか衝撃的だったから記憶にあるし、それ以外のキャラクターたちのやり取りについては抜けてる部分もあるだろうけど、ただ「こういう雰囲気だった」ということはもちろんちゃんと覚えているから、後章を観るのに支障はありませんでした。

さて、これから感想を書くのは後章についてなので、本作「デデデデ」全体で考えると、これから書こうと思うことはネタバレになってしまいます。ただ、「後章」の感想を読もうという人は、「既に後章を観た」か「観ていないが後章の内容を知りたい人」だと思うので、この記事ではあまりネタバレのことはあまり気にせず書こうと思う。

なので、これ以降については、後章の内容を知りたくない方は読まないで下さい。


さて、前章は、「ふたばとマコトが東京行きの飛行機に乗っている時に、侵略者が空から大量に降ってくる」というシーンで終わった。そして本作の冒頭は、「小比類巻率いるヤバい組織が、そんな侵略者をバンバン殺している」というシーンから始まる。冒頭から、なかなかトップギアで物語が展開していく感じだ。

しかし後章でもやはり、メインとなるのは、「大学生になった門出とおんたんとその仲間たちのワイワイした日常」である。「大学でサークルを乗っ取って軍隊を作る」と息巻いていたおんたんは、たった1人しかいないオカルト研究会の尾城に近づく。そして、国民的マンガキャラクター「イソベやん」きっかけで仲良くなったふたばとともに、オカルト研究会のメンバーとして活動をしていく。また門出は、かつての担任教師である渡良瀬とデートをし、良い感じだったりそうでなかったりするような時間を過ごしている。

というわけで、門出とおんたんの日常は、後章になったとて大して変わらないわけだが、世の中は大きく変わっている。それはもちろん、「空から侵略者が降ってきた日」以来のことである。前章のラストではあれだけ派手に侵略者が空から降ってきたにも関わらず、政府はしばし「侵略者」の存在を認めなかった。しかし、小比類巻らはあちこちに潜伏している侵略者を殺しているし、また、おんたんらが通う駿米大学内で侵略者が目撃された際は、自衛隊がその駆除に動くのである。

そしてその一方で、「侵略者にも人権があり、その存在は守られるべきだ」と主張する「Share out Invader Protection」(SHIP)という団体が存在し、政府に対する抗議デモを行っている。実はふたばは、このSHIPの所属メンバーでもある。

さてそんな中で、後章で重要な存在になるのが、前章ではほとんど何だったかよく分からなかった大葉である。門出が中学の頃に推していたアイドルグループの最年少メンバーと同じ顔の男で、後章では、「8.31の時、瀕死だった侵略者を、ロケバスで移動中に事故に遭ったその最年少メンバーの身体に移植した」ことが明かされる。そして、「侵略者でもあり人間でもある」というこの大葉によって、後章の物語は大きく展開されていくことになるのだ。

とまあそんな感じで物語は進んでいくのだが、前章からの大きな謎だった「小学校時代の門出・おんたんの物語」との繋がりは全然明かされない。観ていて、「小学校時代の話、ホントに繋がるのかぁ」と思い始めてきた。しかしもちろん説明されないなんてことはなく、ある時点で唐突に、門出とおんたんに関するある事実が明かされる。なるほど、それ自体の「飛び道具感」はともかくとして、確かに全体としては話は繋がる。そして、基本的に無茶苦茶な世界観で物語が展開していくわけなので、その「飛び道具感」もさほど気にはならない。

そして、この「小学校時代の話との繋がり」が明かされることで、本作が「なかなか壮大なセカイ系だった」ということも明らかになるのだ。「セカイ系」というのは、正確な定義は知らないが、僕の理解では、「個人の言動や想いが、世界全体の趨勢に影響を与えてしまう」みたいな作品のことで、『エヴァンゲリオン』などが分かりやすいだろう。

まあそりゃあ、本作のような設定であれば、どこかしらで「セカイ系」に接続されるだろうとは思っていたのだが、しかしそれがどのようになされるのか分からなかったので、「そうくるか」という感じだった。

そしてまた、このことが描かれることによって、おんたんが後章の中で(前章でも言っていたかどうかは覚えていない)随所で口にしていた、「どこにも行かないで」という言葉の意味も理解できるようになる。おんたんは、自分と関わろうとする人、あるいは彼女が関わりたいと思う人に対して、「どこにも行かないで」と口にする。そこには、どこか普通ではない切実さが込められているのだが、その理由はよく分からなかった。

さて、「セカイ系」の展開を選んでしまうと、どうしても『エヴァンゲリオン』など過去の超名作と比較されるし、その比較をするのであれば、やはり『エヴァンゲリオン』は超えられていないだろう(実際にそういう感想もちらほら見かける)。しかしだな、『エヴァンゲリオン』と比較するのは酷だろう。そりゃ無理やで。本作には本作なりの魅力があって、それは「門出・おんたん」というキャラクターと、それに声を吹き込んだ「幾田りら・あのちゃん」という要素が大きいと思うが、それを楽しめば良いように思う。

前章でもそうだったが、やはり門出とおんたんの掛け合いは素晴らしいし、なかなか絶望的な物語を描きながら、これだけのポップさを最後の最後まで維持できるのは凄いことだと思う。僕的には、とても満足な作品だった。

しかし、こういう作品の場合、僕はどうしても「その後」が気になってしまう。本作の物語が終わった時点から、その中の世界はどう日常を歩んでいくのだろうか。もちろん、「物語」という点で言えばピークを過ぎているし、そこから面白い展開を紡ぎ出すのは難しいと思うので、創作物として発表するのであればこれでいいのだが、それはそれとして、「あの後登場人物たちはどんな風に生きてるんだろうなぁ」と考えてしまったりする。

しかし、41歳のおじさんが言うことではないが、「おんたんにとっての門出」とか「門出にとってのおんたん」みたいな「絶対的存在」がいる人生って、良いよなって思う。それが、凄まじい犠牲によって生み出されたものであったとしても。
ナガエ

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