スープを届けに行った友人みんなが自分の顔を見つめてくるというようなことを彼が言っていたが、それに気がつくのは彼も相手のことを見つめていたからだろうと思った。そこに少し切なくなった。
街や暮らしの音は長く住むほど遠のいて耳を傾けなければ聞こえなくなる。雨音や鳥の声は余計に。こうした音を拾い直すような映画だった。
それから、シュシュが話す中国語の響きが美しかった。他言語なのもあり、意味の塊としてではなく音の塊として彼女の声を聞いているうちに、他の音と溶け合っていく感じがした。
「名前を忘れてしまった」とは意味の前に立ち戻ることであり、音を意味ではなくただ音として聴くこととも通じると思った。
あと、わたしは映画を見ながら匂いを想像するのに気がついた