この映画を借りた理由はアラブ語でヨルダン映画であるから。見る前から、ヨルダンの継承家父長制度が気になっている。 a patriarchy(日本語で家父長制度?)の代表例は結婚したら男の苗字を使うとか、男と女の労働賃金は男の方が高いとか、子供を育てることとか、対価無しの世話は女によって賄われるとか日本の古い昔の歴史のような制度であるかもしれない?そこに、ヨルダン王国の継承家父長制度だから、イスラム国の伝統であるシャリアという法律が入ってきていると思う。そこで、Inshallah a Boy?if God wills 男だけ? 2019年が舞台の映画だよね。
映画を観てからレビューを書いた。
ヨルダン王国の継承家父長制度に挑戦する大胆な女性をイメージしてこの映画をみたが、少しだけ期待外れだった。結局、主人公ナワールが妊娠をしているのがわかって、継承家父長制度を争う問題が九ヶ月後(出産後まで)にずれ込んだように思える。Inshallah a Boyだから彼女が女児を出産したら、この問題がまた起きるわけだが、そのための準備がナワールにできているのか?私はそれを疑問に感じていたが、最後のシーンで、妊娠しているとわかった彼女は自立するために、亡き夫の運転していたピックアップトラックの運転を練習し始める(この車を売ることを拒否していた理由がここでわかる)。これが、『自立』することによって、自分を変えていくことになる。このシーンで夫の庇護のもとに生きた妻ナワールの再出発をみせる。また、社会的にも、こういう女性が増えることで、女性の立場が変わっていくだろうということを暗示させる。ここではナワールの兄弟ですら、伝統的な男である立場から抜け出ることができず(シャリアの伝統の中に埋まっているから、考えてもいないと思う)妊娠がわかっても妹であるナワールに『おめでとう』の声もかけることがない。そして、『子供を産むまで、喪に服せ、そして、家に帰れ』と。 妊娠中九ヶ月は亡き夫に属するから、何もできないことになるが、ナワールはそれを打ち破って、運転の練習を始める。娘、ノラNORAもそれもじっと二階の窓から見ている。これは娘にとっても素晴らしい教育の一つになる。母親が生きていく見本を見せているから。
通りに座って、通過するナワールにちょっかいを出す男がいるが、滑稽なシーンだ。初めはいやな顔をして何も言わずに通りすぎるナワールだが、最後のシーンではOh, I wish I was the purse!!の無礼な言葉を聞いて、黙って通り過ぎないで、娘を待たせて置いて、Purseでこの男を殴るために戻ってくる。最高におかしい。こうしないと、最終的にはしつこく言い寄ってくると思う。