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リンダはチキンがたべたい!のnetfilmsのレビュー・感想・評価

4.2
 いや~これは欄外から凄まじい映画が現れた。社会学的にもこれは相当な労作ではないか?ジャパン・クオリティが現在も唯一通用する世界線と言えるのがジャパニメーションで、日本に居れば、映画ならずTVにおいても毎週何らかの最新のアニメを享受出来る我々の環境が果たして恵まれているか否かはわからない。然し乍らフランスからシュールなコメディ・タッチのアニメ映画が放り投げられたと聞いて初日に駆け付けたのだが、これは確かにすこぶる面白く、日本とフランスのお国柄の違いを考えた上で、最高の感触だと評したい。『リンダはチキンがたべたい!』と言われれば、あぁそうですかと答えるのが現在の世界線だと思うのだがその瞬間、リンダの母親であるポレットはハッとする。リンダが1歳のときのかすかな記憶を基に映画は綴られて行くのだが、冷静に言えば1歳の時にはおそらく記憶というか理性の概念すらほぼない。然しながらその悲しみの展開にリンダは父の仕草を覚えているように感じるが本当はママの辛さに見入っている辺りに最初に気付き、思わず涙腺が緩む。

 ママのお気に入りの指輪と、パパが作ったパプリカ・チキン。とっても幸せな食卓のイメージは実はリンダのものではなく、ポレットのものだと位相をずらす世界線が極めて新しい。少女リンダの混濁した記憶は、ある意味ポレットの傷みそのものを内包する。ある日突然パパが突然消えてしまい、いまは少ししか思い出せない。然しながら指輪と帽子とを混同し、娘を自分勝手に叱ってしまう母親の勘違いから来る贖罪意識もまた重要だ。ストライキのその日に父の思い出の象徴となるパプリカ・チキンを作らんと8歳になったリンダとママが奔走する姿は、ある意味2人の心の純粋な通い合いにも見える。彼女たちが暮らす公営団地がまた素晴らしく、中庭では貧しい子供たちが大きな声を出しながら笑い合い、運動する。人々の目は何よりもまず、ニワトリに集中し、母娘の投げ掛けに答え続ける。始めは個だったものが段々と不器用な人々を結び付け、それは集団となり、ひいては社会を映し出す鏡にもなり得る。マジシャンになり損ねた新米警察官も、羽毛アレルギーのトラック運転手も、ヨガ・インストラクターの母親の姉も個人に批判の目を向けつつも、どこまでも不器用に真正直だ。キャラクターたちは黒い線で縁取られ、近付くとそれぞれが別々の色を有す。何だかこのアニメーション自体がヘタクソにも見えるが、ある意味今作は巨大帝国となったジブリやディズニーが出来ない小さな世界を紡いでいる。アニメーションへの視線を個人のレベルにまで落とした名作である。
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