漱石枕流

勝手にしやがれの漱石枕流のレビュー・感想・評価

勝手にしやがれ(1960年製作の映画)
2.7
前に投稿した『カリガリ博士』につづき、大学の授業の感想レポート対象作品として、鑑賞。ちなみにお題は「ヌーヴェル・ヴァーグ作品の特徴を述べよ」というもの。課題を書くために2回鑑賞した。

長年映画を観てきたのに、その言葉を知ったのは今回が初めて。鑑賞自体も人生初だと思う。いやはや、映画の世界は奥が深い——というか、単に私が物知らずなだけのような気もするが・・・


冒頭で主人公はいきなり開き直る。「俺は馬鹿だ。馬鹿だから、馬鹿で行くしかない」どうして彼がその気づきに至ったのか? 説明がない。しかしこのセリフはおもしろいと思った。

逆に引っかかったのは、ホテルのシーン。およそ25分あり、映画全体の3割を占めている。特に何も事件が起こらない男女のたわいないワンシチュエーションにこんなに時間を割くものだろうか?

いい方に解釈すれば、ゴダールはふたりの関係をじっくり描きたかったのだと思う。ここが映画の核だと考えたのかもしれない。

とはいえ、新聞社の記者であるヒロインが警部から告げられるまで主人公の手配を知らなかったのは疑問に残る。アメリカ人だからフランスのニュースには興味がない、とか。そうでなければ、単なるご都合主義だ。

それはそれで納得しても、ではジャーナリストの卵なら、なぜ彼をすぐに警察に突き出さないのか?——それはやはり彼を愛しているから。ここで、ホテルのシーンがいやに長い理由が見えてくる。

総じて印象深かったのは〝予定調和を完全に外した展開〟である。すべて観客の意表を突くように展開し、一切先を予測させない。何気ない会話がいやに文学的であり、その一方で脈絡のない話題に移ったりして、無秩序だ。

また主人公が反社会的なキャラであることも重要。つぎからつぎへと犯罪を積み重ねて罪悪感を持たない。そして、あのラスト・・・ 

いい方に解釈すれば、当時としては斬新だったのかもしれない。ただ、私自身はさっぱりノレなかった。これがヌーヴェル・ヴァーグなのかと、苦味しか感じなかったのだ。

[オリジナル音声+日本語字幕]2024/05/31, 06/03 ザ・シネマメンバーズ
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