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ありふれた教室のせっのレビュー・感想・評価

ありふれた教室(2023年製作の映画)
4.1

校内で盗難事件が連発している中、教え子が疑われたカーラがわざと財布の入った上着を放置して盗撮し、映っていた服と同じ服を着た人を問いただしたことによって校内に広がる波紋を描いた話。

本来窃盗事件が起きているなら全般的に警察に任せるべき。でも学校という閉鎖的な場所は、事態が大事になることを嫌い、学校側の責任を少しでも小さくしたい。でもその内部では素人達による犯人探しが横行している。警察による冤罪もあるとはいえ、法で定められた手続きを踏まない犯人探しほど酷いものはない。

最初は自分の生徒の冤罪を晴らすためだったカーラも、自分が見つけた容疑者に完全否定されると感情が先にたち、校長先生にチクリ大事に。学校側は強行的に法的措置を取ろうとする。もうここまで来ると学校側は真偽より学校が間違ってましたという姿勢を取りたくないんだろうなという始末。

そもそも、生徒側に寄り添っているように見えたカーラもこのクラスをコントロールできていることに酔っていて、生徒が疑われたことに怒っているより、"自分の"生徒が疑われたことに腹が立っていたようにも見える。冒頭変な挨拶を生徒にやらせている辺り気持ちの悪い宗教だと思っていたけど、ちゃんと生徒もそれに不満を持っていて安心した。最初から生徒と先生の関係には侍従関係があるんだよな。

生徒全体が団結して反撃しようとしても、留年させられるという理由でその団結が崩れるあたり、先生というものは生徒に対して絶対的な権力を持っているんだよなと思った。

誰もが疑心暗鬼になり不満をぶつける最悪なカオスとなった学校に、この映画はラスト皮肉な勝者を掲げる。しかもその勝者を捧げるのは本来の仕事をしなかった警察という皮肉。この閉鎖的な最初からフェアじゃない空間で、誰が常に冷静に物事を筋道立てて1つの結論を導き出せていたのは、オスカーしかいなかった。オスカーは、犯人は分からなくても母親が犯人という決定的な証拠はないという結論をちゃんと彼の中で証明できていたんだろう。とはいえそんな彼も途中感情に流されてしまう。感情とは何と邪魔なものだろう。

昨日見た日本映画『碁盤斬り』も、濡れ衣を着せられるという点では共通しているけど、今作と全く逆。前者の主人公は感情が無さすぎた。今作は感情がありすぎる。
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