デニロ

清作の妻のデニロのネタバレレビュー・内容・結末

清作の妻(1965年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

今年のお盆休みに観た作品で最も記憶に残る作品。国立映画アーカイブに集う胡散臭さ満開の連中の存在を忘れてしまった一作。

1965年製作公開。吉田絃二郎の原作を新藤兼人が脚色、増村保造が監督。狒々爺殿山泰司に一家の生計のため囲われている若尾文子(お兼)。若くしてというか幼くして60歳を超える男に女にされ溺愛され、日々慰みものにされ諦めの境地にある。実家は貧民窟にあり、父は病身、母親は幼くして亡くした息子のためにお題目を唱える毎日。或る日、いそいそと妾宅に通ってきた殿山泰司は風呂に入り様卒倒して死んでしまう。殿山の家族は後腐れの無いように遺言通りお兼に家一軒建て且つ暮らせるほどの金千円を分け与える。この前段が効いていて、その後母親の故郷の山里で暮らすお兼の厭世観とその後に起こる様々な憎愛が際立ってくる。

山里に田村高廣が帰ってくる。清作という名の軍隊を除隊した模範を絵にしたような男だ。また、ごく普通の情感を持った男で、村八分扱いのお兼母子にも当たり前のように接する。母の死の際も弔いの手伝いをする者の誰もない中、清作が只一人気持ちを表す。母親の遺言は隣村で乞食をしている知的障碍者千葉信夫(兵助)を養え。すべてをひっくるめてお兼と清作は暮らし始める。自らの意志を持って生活を始めるお兼はそれまでとは別人だ。が、日露戦争が始まり清作は出征する。残されたお兼に村の者は好奇の眼を向ける。女ざかりの躰は寂しくないかとか、兵助とヤッてるんじゃないか云々。負傷した清作が一時帰還すると村では総出で歓迎するが、村の長老たちからは、村の名誉のためお国のために死んで来いと言われる。

お兼は出征する清作の覚悟のほどにかつてのひとりぽっちだった自分を思い起こしてしまう。もうひとりでは暮らせない。ままならぬ感情が湧き起こり覚悟を決める。清作を傷つけ兵士として使い物にならなくし、結果、お国にも村にも刃向かうのだ。村人たちはその惨状を目の当たりにし、ここぞとばかりに反逆者お兼の着物をひん剥き股座を蹴りつける。清作は廃人同様となり、実家に引きこもる。そこに村の兵士の戦死連絡が届き、お国のため村のために死ねなかった清作は非国民と石を投げつけられる。

こんなストーリーを、記憶を辿って書いているともはや今もこの日本で起こっていることなんじゃないかと思ってしまう。子供の頃からハブりハブられ同調圧力、障碍者マイノリティに対する歪んだ優越感、様々なハラスメント。権力者は悠然と暮らし犠牲になるのは若者だ。

若尾文子は『妻は告白する』でも怖かったが、狂恋の女を演じるとエロス満開で近寄りがたい。
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