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清作の妻のnanaのネタバレレビュー・内容・結末

清作の妻(1965年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

観る前は所謂「悪女」系の物語なのかと思っていたけれど、観た後では全く印象が違います。

おかねはずっと寂しくて、愛情に飢えていた。
一家の家計を支えるため60を過ぎた金持ち爺の妾となり、周りからは「アバズレ」と呼ばれる。
婚前交渉なんて無かった昔ならなおさら。
母親も、悪い人ではないが娘が妾となったにも関わらずそれでお金が入ってくるので助かっている、といった雰囲気。
結局おかねはいつだって孤独を感じていたのです。

一方で、まるでおかねとは正反対の立ち位置にいる青年、清作。
村のみんなの模範となり、朝早くから村中に響き渡る音で鐘を鳴らすのはかなりの迷惑行為な気がするが、身が引き締まるよなんて村の人は好印象な様子。
結局、何をするかではなく誰がするのかで物事の良し悪しなんて決まる。

そんなふたりが惹かれ合っていく。

両目を潰すのはさすがにまずいが、愛する人が戦場に行くことでやりきれない気持ちになるおかねは現代の感覚では何一つ間違っていない。
むしろこれが普通であり、今となっては、当時の他の村人たちの「国の為に戦死してこいよ!」「万歳!」といった明るい送り出しの方が異常に思えてなりません。
この作品は反戦映画という見方もあるのかも。

目を失ったことで初めて、「人からどう見られるか・どうあるべきか」といった意識から解放された清作。
ふたりのこれからはきっと茨の道だろう。
人から理解なんてされないだろう。
しかし誰だって自分自身のこと、人間関係などを別に他人から理解される必要などないはず。
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