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Excursion(英題)
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『Excursion(英題)』に投稿された感想・評価

Omizu
3.7
【第96回アカデミー賞 国際長編映画賞ボスニア・ヘルツェゴビナ代表】
ウナ・グンヤク監督の長編二作目。ロカルノ映画祭でスペシャル・メンションを受賞、アカデミー国際長編映画賞ボスニア・ヘルツェゴビナ代表に選出された。

イマンという少女が自らの性体験、そして妊娠をでっち上げたことによる騒動を描いた作品。

何が彼女をそうさせたか、最後まで明示はされないものの、思春期に揺れる少女の心の内を繊細に表現している。

手堅くまとまった作品で、そこまで派手な展開があるわけではない。友だちや親、先生との関係性を丁寧に描いた作品。

思春期って後先考えず行動してしまうもの。その結果どうしようもない事態になってしまうこともある。イマンはトップカーストにいるわけではなく、それも彼女のコンプレックスの原因にもなっているであろう。

高校時代痛い思い出がある自分からすればこの手の青春ものには共感せざるを得ないものがある。注目されたいが為に嘘をつく彼女の心理が手に取るように分かってしまう…高校時代本当にやり直したいなぁ…

それは置いておいて、非常によく出来た作品であることは間違いない。テーマや描写に特筆すべきものがある訳ではないが、個人的にはなかなか刺さった一本になった。
[ボスニア、初体験と妊娠をでっちあげた少女の物語] 70点

2024年アカデミー国際長編映画賞ボスニア・ヘルツェゴビナ代表。ウナ・グニャク(Una Gunjak)長編一作目。9年前にボスニア北部の中学校で実際に起こった、修学旅行中に7人の女生徒が妊娠した事件に着想を得て製作された。この事件は大炎上し猛バッシングされたらしく、それに疑問を持ったグニャクはボスニアの保守性とそんなボスニアで生きる女性たちが自己表現するにはどうすれば良いのかという問題に立ち向かう。物語はある夜、教室に集められた中学生たちが話している場面から始まる。隣の教室で親たちが先生たちと協議を重ねている間に待たされているのだ。親たちは費用の面から行き先を心配し、同時期に起こった上記の事件と同じことが娘たちに起こらないか心配している。一方の子供たちは"真実か挑戦か"ゲームをしており、その中の一人イマンは"自分は年上の青年ダミルとセックスした"と唐突に言い始める。彼女はすぐさま時の人となったわけだが、それを傍らで苦々しく見ているのが彼女の親友ハナだ。彼女はイマンが初体験をでっちあげたことを知っているのだ。しかし、ハナもダミルも明白に否定しないまま、イマンの嘘だけが残り続ける。それでも時間が経つと話題の中心にはならなくなる。ダミルとの関係性も怪しまれてしまう。そして、彼女は妊娠すらでっちあげ、後に制御不能の混乱を巻き起こすことになる。

なぜ彼女は初体験をでっちあげたのか?イマンは若干浮いてはいるものの他の生徒と仲が悪いわけではなく、かといって特に目立つわけでもなく、仲が良いのはハナだけ。それに、自分以外の生徒たちはそれぞれが拠り所を持っていて、自分だけにはないように感じてしまっている。映画では彼女の内面を覗き見るかのように、自宅でのシーンが多く挿入される。認知症らしき祖父がTVの前に陣取っていて、両親は共働きで不在がち、PCは弟と共有で、未だに行き先すら決まらない修学旅行の費用は捻出できるか怪しい、そんな家で暮らしている。彼女は孤独なのだ。そんな彼女が他者からの評価を拠り所として、他の同級生よりも一歩先に出た"クール"な属性として、"経験者"を選ぶのは必然だったのかもしれない。成績優秀だったイマンにしては、人前で自分の欲望をさらけ出す危険性に無頓着すぎるようにも感じられ、恐らくは仲間内だけに伝えられるはずだった反抗の一つの形態という認識だったのではないか。ハナと一緒に付けに行ったネイルを、ハナは一瞬にして剥がされてしまったのに対して、イマンは最後まで付けていることからも、社会規範に押し込めようとする大人たちが身近に溢れていることは示唆される。

興味深いのは、ボスニア国内の断絶が垣間見えることか。ボスニア北部はセルビア人が多いらしく(いわゆるスルプスカ共和国)、親の一人は"それはセルビア人だから起こった"などと言ってる。ダミアン・コゾレの作品でも思ったが、そういった意識が日常の中に存在しているのかと改めて気付かされた。