ドラミネーター

ゴーストバスターズ/フローズン・サマーのドラミネーターのネタバレレビュー・内容・結末

3.0

このレビューはネタバレを含みます

   【本作の評価を一言で総括】

 「ゴーストバスターズ」を外してしまった感が否めない



 本作で唯一ゴーストバスターズらしかったと言える点は、盛り上がりが本当に終盤だけにある、相変わらずのスローすぎる盛り上がりのみ。これは否定的な感想ではなくて、もはや自分の中では「ゴーストバスターズと言えば、スローな盛り上がり」というブランド的なものである。


 以下、主に〈納得できない点〉と〈ゴーストバスターズらしからぬ点〉について述べたい。


〈納得できない点〉
 一つ目に、フィーヴィーと火災で亡くなった女性の霊が親友みたいになるが、その必然性を全く感じない。ただチェスをしただけにも関わらず、まるで全米が涙する「次元を超えた友情」かのように演出されている。いや、どのタイミングでそれほど距離を縮めたの? いつからフィーヴィーにとって"かけがえのない存在"になったの?
とツッコミたくなる。
 二つ目に、続いて女性の霊に関わることになるのだが、女性の霊が持っていたマッチがキーとなりガラッガを倒すにいたる本作。あたかも巧妙な伏線かのように演出されているが、いや、冷静に考えて、彼女(の火災、マッチ等)とガラッガ、一体何の関連があるの?
「ガラッガを倒す炎は、彼女のマッチだったのかーー!! やられた!!」とは到底なりえない。一体何の必然性、関連性があってそうなるのか意味不明である。実は彼女(やその家族)の死因を作ったのはガラッガだった。とかならわかるのだけれども。


〈ゴーストバスターズらしからぬ点〉
 一つ目に、露骨すぎる洋画色である。本作は「THE 洋画」「これぞ洋画」といったような映画だった。露骨な家族愛、フィーヴィー(ぐらいの年齢の主人公)が経験するあの時期に特徴的な葛藤や疎外経験など。もう見飽きた陳腐な要素を用いまくった、洋画。別にその要素が悪いってわけじゃないけれども、わざわざゴーストバスターズに、しかも一作にそういった要素を一挙に放り込んで、しかもこのテンションで。いらなすぎる。ゴーストバスターズなら、このサブテーマを描くにしてももう少しコミカルに、それこそ「サブ」テーマとして描いてほしかった。

 二つ目に、ファイヤーマスターの存在は絶対的にいらない。超常現象を「科学×ノリ」で解決するのがゴーストバスターズだが、ファイヤーマスターの存在は最早ただの超能力者。アベンジャーズみたいな世界観である。前作まではSFっぽい雰囲気が先行するジャンルだったと自分は感じているが、本作はファンタジー色が先行しすぎており、これまでのゴーストバスターズとは似て非なるもののように感じられた。

 三つ目に、笑いがふつーにスベっていた。あまり面白くなかった。


以上をまとめると、一つの作品としては個人的には面白くなくはないのだが、ゴーストバスターズシリーズとしての系統性や、かなり楽しみにしていたという事前の期待観も踏まえるとこの評価になる。