まぬままおま

毒娘のまぬままおまのレビュー・感想・評価

毒娘(2024年製作の映画)
4.0
切り分けられるケーキ・ピザ・家族・口。

カメラをどこに置くかにこだわりを感じてとても面白かった。
例えば、萩乃と夫と娘の萌花の食事シーンを窓の外から撮っているものが2つある。
1つ目は窓枠によって、萩乃・夫ー萌花が切り分けられていて、2つ目では萩乃・萌花ー夫で分断されている。それが出来事における関係の変化を端的に示しているし、家族と言えども力関係によってくっついたり、離れたりすることがよく分かるようになっている。
他にも柵越しに撮っていたり上述のように「切り分ける」という概念を様々なイメージで反復しながら語っていて素晴らしかった。

以下、ネタバレを含みます。

本作は萩乃と夫と娘の萌花の3人家族が中心であるが、その家族も事情は複雑である。萌花は夫の連れ子であり、萩乃は萌花と血縁関係にない。萌花の実の母親はアルコール中毒者で精神的に不安定で火事が原因で亡くなっている。それも夫のDVが要因でもありそうで、何やら不穏だ。

そういった事情は物語が展開につれて明らかになっていくのだが、序盤のあまりに幼い萩乃像に納得感が出てくる。これは母未然の萩乃が母になる物語なのかと。

萩乃は家族生活を円満にしようと、萌花と母娘関係になれるように努める。一緒に衣装のデザインをする。美味しい手料理を振る舞う。夫との子作りに励む。ひとつひとつの出来事は、善行である。しかし萌花は不満も感じてしまう。萩乃の主体性のなさに。萩乃は仕事をやるかどうかも夫の判断に任せて、夫の機嫌を伺う。萌花とのことも彼女の意志を尊重しているが、それは翻って萩乃が何も決めていないことを意味する。そして〈ちーちゃん〉との出来事についてもだ。萌花が〈ちーちゃん〉に襲われたときも、命令されたケーキとコーラを渡すだけで、立ち尽くすことしかできない。夫とは反対に警察に相談することを言ったりもするが、それは夫の判断の下に見えなくなってしまう。

萩乃の善行は、〈ちーちゃん〉のあまりに主体的な暴力に掻き消されてしまう。そして萌花もそんな暴力に魅了されて惹かれてしまう。

そこから萌花は非行まっしぐらだ。壁を汚し、「針」を仕込む。バッテン印で目と口を描いた二人は、秘密によって共犯関係を築いていく。もはや純粋で無垢な子どもではいられない。無垢さは善悪に切り分けられてしまう。同級生への仕打ちに萌花は動揺してしまうが、それでも悪の「よさ」に気づいてしまう。

そして萌花が、母親と同様に父が萩乃に暴力を振るうのを目撃したとき、「いないほうがよい」という純心なよさで殺害という悪行に至ってしまう。

萌花は頼りない警察とは裏腹に少年院へと収監される。そして萩乃は彼女に接見し続けて、母娘関係を続けることで主体性を獲得し、母になる。中絶を決断し、リプロダクティブ・ライツも行使しながら。

それはよいことだと思う。けれど足りないとも思ってしまう。萌花は収監され、罰を受けて法的主体として大人になるのだからいいのだろう。けれどその過程に萩乃は接見でしか関われないわけで、萩乃の萌花への関わりが足りない気がするのだ。

殺害シーンで、萩乃に光るセリフがあった。それは啓蒙とも言えるセリフだ。実は私が最も魅力を感じるのは〈ちーちゃん〉でも萌花でもなくて萩乃であるのだが、もっと大人の純心な啓蒙をみせてほしいと思ってしまうのだ。それは説教くさいものではあるかもしれないが、萩乃にはそのポテンシャルがあるし、実際に先生でもあった監督の性分にも合っていると思ってしまうわけである。

だからその不足が、ラストの〈ちーちゃん〉の登場になってしまったと思うのだ。〈ちーちゃん〉はあっさり死んでしまった夫とは反対に生き残っており、それがあまりにもフィクショナルな存在になってしまって本作のリアリティラインを損ねているー映画でリアリティラインを統一する必要はないし、そのズレが面白くなることはあるー。特に〈ちーちゃん〉の悪行に至るドラマを描いているわけではないから、〈ちーちゃん〉の悪行は続くとして、「子どもの純心な悪行はなくならない」とするのも消化不良だ。もっと萩乃のドラマがみたかった。

このように思ってしまうわけだが、夫に象徴的な現代の男性像は的を得ているし、カメラも音楽も衣装も素晴らしい。内藤瑛亮監督作品ははじめてみたから、他の作品もみてみようと思った。ひとまず『ミスミソウ』と『許された子どもたち』をみます。

追記
夫に象徴的な現代の男性像とは、表面的には意志を尊重して優しいのだが、テクノロジーと共犯して管理・支配するような男性像である。それはシステムで逆らわせないパノプティコン的な暴力であって、エラーが発生すれば、会話によってモラルを糾弾しようとする。規律・訓練。それはモラルハラスメントにつながるし、外界と断絶した家族というシステムのなかで暴力を働くDVにも帰結するのだ。だから夫がIT企業に勤めている設定も納得である。このように記述する私も全くこの男性像と無縁ではないし、有害な男性性をどのように無毒化できるか苦心している。
またこのような男性像は加藤拓也監督の『ほつれる』でも確認でき、現代を象徴する男性像として今後増えていくような気がする。

蛇足
萌花がクロースアップで同級生とのツーショットが、神がかり的に素晴らしくて本作は100万点だと思ったら、蜂がダメだ。VFXがチープすぎる。トリュフォーの『華氏451』をみたときの残念さを思いだした。腹筋ローラー視点のカメラも意味が分からないのだが、実験精神に溢れているとして「よい」ことにする。