ひと昔ほど前、「大人向け絵本」なるジャンルがブームになって、やたら量産されていた時期があったと記憶している。そしてわたしは余りそれらが好きではなかった。
勿論良いものもあると思うのだけれど、文が多すぎたり、自己啓発かスピ系か、みたいな内容の解釈違いも散見されたからだ。「大人向け」の名の下に、余白を塗りつぶして《絵本》から遠ざかっている様は、むしろ子供向け絵本より幼稚化しているように思えた。
何の話かといえば、このドリームワークスによる最新アニメーション作品に感じる若干の説明過多感、理論武装感みたいなものとそれに少し近いものがある、ということなのだった。
プラットフォームであるNETFLIXのレーティングは《7+》、つまりレゴと金平糖の違いがギリ分かるくらいのジャリん子でも全然観れますよ、ということなのだけれど、内容は明らかに大人が大人の脳とデスクで考えたものだとわかる。なんとなく、《道徳の教科書ver.2.0》みたいだ。
確かに、物語は大切なことを説いている。
身の回りが不安で溢れた引っ込み思案な少年オリオン(※1)が、ある夜に《暗闇》と出会う。夜を連れてくる《暗闇》こそ、あらゆる恐怖の根源で象徴だ。しかし、話してみれば《暗闇》にもまた悩みがあること、夜の世界にも楽しみがあることを知る…
オリオンと旅の道づれとなる、夜を司る精霊たち、《睡眠》《不眠》《物音》《静寂》《夢》…といった面々はPIXAR『インサイド・ヘッド』の変形のようだ。『インサイド・ヘッド』が自身の内面にある感情を擬人化したように、今作では自分の外にある不安や未知を擬人化した。
《暗闇》も含めて、夜に潜む彼らはいわば《他者》そのものでもあるといえる。見えない・わからないから怖い、しかし一歩踏み出して触れ合うことが出来れば、夜にしか体験できない魅力が開ける。未知に対する恐怖は、反転すれば可能性と好奇心に変わり、たぶん《愛》なるものはそこから始まるのだ。
この展開には納得感があるし、「夜だからこそ星は輝く」イメージとプラネタリウムが重なる仕掛けもうまく(※2)、《暗闇》との旅で眼前に広がる夜空のドレスは深く美しい。
ただ、いくつかの入れ子構造を作ってみたりとか、使われてる単語の端々とか、やっぱりエモーションの前にロジック、頭でっかちなんだよなあ…と惜しく思ってしまうところ。
…のだが。
これがC・カウフマン脚本作品であるとなれば、また話は変わってくるんだぜ。
ひとことで言えば、これはなかなか感慨深い事態である。
だって、『アダプテーション』にしろ『脳内ニューヨーク』にしろ、『もう終わりにしよう』にしたって、内に閉じ籠って悩むために悩み続けるような「終わらない思春期おじさん」のややこしい精神世界をややこしい手法で何度も描いてきたカウフマン氏が、ここにきて同じような悩みの芽をもつ少年を導き救う話を作ってみせるなんて。それも、あくまでファンタジックな冒険譚のフォーマットで。
やだわもう立派になって!と、なんだか勝手に親戚の大叔母のような気持ちだ。
物語の語り手は穏やかな父親となって、「未だに闇は怖いけど」、でも「この夜を楽しもう」なんて言う。オトナ!オトナである。ついに、『マルコヴィッチの穴』から続く思春期は終わり、過去の作品たちは星座となって供養されたのだろうか。
それはちょっと寂しくもあるかもしれない、でも今はその成長を微笑ましいものとして受け取ってみたい。次は反動で大クセに戻るか、あるいはもっとポップに華開いたりするのか?それもまた、窓の向こうにどこまでも伸びる夜と同じ、可能性の中なのだ。
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※1:そういえば空のオリオン座も、かつて自分の命を奪った蠍座からずっと逃げ続けている。
※2:しかし「星を遮る都市を作っておいて、作り物の星空を見るの?」とか鋭い要らんことを言うのがカウフマンぽい。