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風の馬
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風の馬が配信されているサービス一覧

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TSUTAYA DISCASレンタルなし 【宅配レンタル】旧作:399円~、新作:630円~
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風の馬が配信されているサービス詳細

TSUTAYA DISCAS

風の馬

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TSUTAYA DISCAS
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【宅配レンタル】旧作:399円~、新作:630円~なし-不可能1-
支払い方法
支払い方法 ・クレジットカード ・携帯決済 ※単品レンタルではSoftBankのキャリア決済はご利用いただけません。
対応画質
DVD/BR

TSUTAYA DISCASの特徴

  • ・DVD・CD・コミックの取扱国内最大級の宅配レンタルサービスです。
  • ・DVD:41万タイトル以上、CD:31万タイトル以上、コミック:11万タイトル以上
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  •  ※2025年2月時点
  • ・新規会員様は単品レンタルチケットを1枚付与され、好きな作品を1枚無料で楽しむことができます。
  •  ※単品レンタルチケットとはDVD/CDのレンタルで1回1枚ごとにご利用いただける電子チケットです。入会後30日以内に付与します。

TSUTAYA DISCASに登録する方法

  1. TSUTAYA DISCASトップページから「今すぐ無料レンタルする」を押します。

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  3. 登録内容を確認し、問題がなければ「登録する」をタップする。

  4. これで無料会員登録は完了です。

  5. 続いて有料プランの登録をする場合、TOPページ右上の「マイメニュー」を押しメニューを表示します。

  6. メニューから、「登録情報の確認」を押します。

  7. 「プラン変更する」を押します。

  8. 登録するプランを選択し、「プラン変更内容を確認する」を押します。

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TSUTAYA DISCASを解約する方法

  1. TOPページ右上の「マイメニュー」を押します。

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  6. これで退会完了です。

『風の馬』に投稿された感想・評価

チベット難民2世としてインドで育った私は、チベットを見たことがありません。
画面に映る、まだ見たことのないふるさとの映像を、切なく複雑な思いで見ました。60年代にチベットから逃れてきた母は、幼い私に、ふるさとの厳しく美しい自然と平穏な暮らしを語るたび
「村に中国人が来て、村長が捕えられて連れ去られ、チベット人たちは何も持たず着の身着のまま逃げてきた」
と涙しました。私の父母の世代が体験した苦痛も、この映画で描かれる1990年代も、それから10年以上経った2009年の現代も、中国政府のふるまいはまったく変わっておらず、チベットでチベット人が人として生きられないという残酷な現実は続いています。
08年3月、自由を訴えたチベット人が再び銃火で弾圧され、多くの死者と行方不明者が出て、さらに多くの人が逮捕され、拘束され、密室で過酷な取調べを受けています。日本でもご覧になる方々には、この映画が訴える悲劇が、10年前の過去にあっただけでなく、今も続いていることを知っていただければと思います。

── ツェリン・ドルジェ(Students for a Free Tibet Japan代表)

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チベットの魂

私は1952年にチベット第二の都市シガツェで生まれました。父はチベットでとれる岩塩をインドやネパールへ運び米と交換する、いわゆる「塩の道」の交易を仕事としていました。ところが59年の動乱で、人民解放軍はチベットの指導者たちを次々と逮捕していき、私たちの平穏な生活はあっという間に崩れていきました。その頃、仕事でインドに滞在していた父は、危険を感じひとりインドに亡命しました。
それから三年間、私は中国政府がつくった小学校に通いました。そこで学んだ中国共産党の教育は、“洗脳”ともいえるものでした。今では信じられませんが、幼かった当時の私はダライ・ラマ法王を“反逆者”、“国家分裂主義者”だと信じていたのです。

1962年、私は家族と共にチベットからインドへ亡命しました。10歳のときでした。すでにインドに亡命していた父が、近所の人に見つからぬようボロボロの服装で、家族を迎えに戻ってきたのです。但し、両親は私に「温泉に行くよ」とだけ告げました。洗脳教育に染まっていた実の子を、両親は騙さねばならなかったのです。
チベットの国境地帯に配置された中国政府の警備隊に見つからぬよう、月が出るのを待って夜間に歩き、眠るのはいつも山の中の洞窟です。もう春先でしたが、ヒマラヤ越えは寒い道行で、膝くらいまで残っていた雪でズボンがびしょぬれになり、凍傷にならなかったのが幸運なくらいでした。こうして、雪に覆われた3000メートル級のヒマラヤを、約一ヶ月かけて越えました。

インドのダージリンにあるチベット難民センターに収容された後、英国系の全寮制学校に入学し、私の生活は一変しました。そこでの授業はすべて英語でおこなわれ、近代的な教育を受けました。次に大きな転機が訪れたのは1965年、13歳の時でした。毛呂病院(現・埼玉医科大学)の前理事長・丸木清美先生の働きかけで、初めて日本の地を踏みました。そこでようやく中国とチベットの関係や、政治の事情がわかってきました。ダライ・ラマ法王が初来日した67年に、初めて法王にお会いしました。その時法王が言われた「将来、チベット人のためになる専門分野を持ちなさい」という言葉を胸に、私は医学の道を選び、医者になりました。数年前、中国からきた若い研修生たちに指導をしたことがあります。「実は私はチベット人です」と告げると、彼らは一様に驚いていました。研修生たちはチベット人を無教養で野蛮人だと思っていたのです。“チベットを中国共産党が解放した”としか教わっていない。中国政府は中国国民に対しても、都合のいい様にしか教育していないのです。

私は日本の若い人たちに、チベットを様々な角度から知っていただきたいと思っています。一般的にチベットというと、政治的な問題や宗教的なイメージがありますが、それだけを強調されると私は悲しくなります。チベットには長い歴史と文化があり、伝統があるのです。例えば、チベットの民族衣装やアクセサリー、アートなどの側面からもチベットを知ってもらいたい。また、チベットにはダライ・ラマ法王という素晴らしい指導者がおりますし、私はチベット仏教を世界の財産だと思っています。殺伐とした日本の現代社会に於いて、精神的な面で貢献できるものの一つはチベット仏教だと思います。 法王は今、精神的な部分は科学的に証明する事ができるという、チベット仏教科学に力を注いでいます。幸せは祈りや瞑想だけではなく、人間の中の感情や本質を見極め、それを明らかに認識すること、信心の心だけではなく科学的アプローチで訓練することによって生まれてくるものだと考えます。チベット仏教というのは、何かを崇めたりするのではなく、もっと哲学的な側面が強いのです。その中で精神的な瞑想も含めて、心の平安が如何に重要かを説いています。心が平安だと免疫力が上がるというような理論です。
チベット仏教の伝道は2000年あるといわれています。信仰を土台とした魂はチベット人の生活の基盤になっています。2000年近くあるチベット人の魂を、たかだか50年、60年で表面的に抑圧しても、心の中までは抑圧できないと思います。この状況が長くなればなるほど、中国の罪は重くなる。歴史というのは変化しますからいつか歪みが生じます。その時、中国に様々な問題が出てくるでしょう。

『風の馬』を観て、50数年前からチベットの問題は全く変わっていないのだと、改めて実感しました。この映画こそ真実だと思います。
映画に登場する3世代それぞれには心の中にある“チベットの魂”を感じました。お祖父さん、お祖母さんは中国に対する感情をストレートに表現し、お父さん、お母さんは抑圧された状況の中で生活をしている。一方子供たちはというと、妹のドルカは中国の文化を好み中国人の恋人がいますが、兄のドルジェはそんな妹を疎ましく思っています。それぞれの世代で感じ方が異なりますが、チベット人のもつ気質や魂は歴然として、彼ら心の中にあるのです。

もう一つ印象的だったのは、チベット人も中国人もみんな犠牲者だという事です。ドルカの恋人の中国共産党員の青年も犠牲者でしょう。ドルカのお祖父さんは、文化大革命の際に中国人によって射殺されましたが、恋人のお父さんもまた、文化大革命の際に四川省で殺されております。投獄された尼僧のペマはチベット人の看守によって拷問されますが、その看守も犠牲者です。彼らにも生活があり、やらなければ搾取されてしまいます。恐らく看守としての役割を終えて家に帰れば、仏壇やタルチョがあり、チベット式の住居で生活しているはずです。

映画の登場人物の中で、個人的には中国指導部に一番同情しました。彼らは今起きている事に気づいてない。いずれ全てを精算する時がやってきます。今の状況では、チベット人にとって失うものはもう何も無く、闘うしかありません。闘うという事は決して暴力ではなく、仏教の慈悲の心を持ちひたすら耐える事です。チベット仏教の哲学は耐える事、憐れむ事、それが根底です。時間はかかるかもしれませんが、いつか中国が民主化し、今まで行った事が全て浮き上がれば、今度は彼らが裁判にかけられます。その事実を今の中国指導部は知っておかなければいけません。
しかし、今後も抑圧政策は続くでしょう。それを変えるためには、もっと国外の人々が声を大にしなければいけません。そのためにはこのような映画を通してチベット問題を多くの人々に知ってもらうことがとても大切だと思います———西蔵ツワン(武蔵台病院 副院長、埼玉医科大学 消化器肝臓内科 非常勤講師)

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心偽れぬチベット

映画の中で、尼僧ツェリンがダライ・ラマの写真所持の罪で尋問を受けたとき、「写真が奪われても、(ダライ・ラマは)心からは消えません」と答えるシーンがある。このシーン、既視感がある。

2007年7月。外国メディアが自由に足を踏み入れる事の出来ないチベット自治区に、私は中国外交部(外務省)主催のプレスツアーに参加する形で記者として初めて訪れた。自治区第2の都市シガツェから150キロ南西のサキャ寺に行ったときのこと。住職が私たち外国人記者を前に会見を行った。チベット仏教4派のひとつサキャ派の総本山のこの寺は、文化大革命で建造物のほとんどが破壊されたが、ちょうど当局から莫大な金額の支援を受けて修復が進んでいた。記者会見は本来、共産党がいかに文化財修復に尽力しているかをチベット僧の口から宣伝させるためのものだった。

だが会見の後半、ドイツ人記者の質問で様相が変わった。「ダライ・ラマ14世に帰ってきて欲しいですか」。これは外国人記者がチベットで必ずする質問だが、普通は、ダライ・ラマ14世を否定する中国当局から教えられた模範解答を答える。「ダライ・ラマが政治活動と祖国分裂活動を完全に停止すれば、われわれは受け入れる用意がある」といったぐあいに。実際、ラサやシガツェの寺院関係者が行った記者会見での答えは全部そうだった。しかしサキャ寺住職は、素直に「はい」と答えた。記者の方が驚いて「もう一度聞かせてください」と問うと、住職は「ダライ・ラマ14世に出来るだけ早く帰ってきてほしいです」とはっきり答えた。さらに別の記者が聞く。「ダライ・ラマは宗教領袖だと思いますか」。「はい、その通りです」…。予想外の住職の返答に、顔色を変えたお目付役の外交部職員がマイクを奪い「ダライ・ラマ14世は宗教領袖であるまえに、政治屋であり祖国統一を阻む分裂主義者です。ダライ・ラマが政治活動を完全に停止し、分裂主義を放棄すれば、という前提ですよね」と牽制をかけた。住職も顔色を変えて頷いたが、続けて私が「あなたはダライ・ラマ14世を本当に分裂主義者だと信じているのですか」と質問すると、住職は何か言いたげに口をあけたものの、押し黙ってしまった。

この会見後、住職のまわりに記者が集まり口々にたずねた。「あんな答え方をして大丈夫なのか」。すると住職は「たぶん、私と私の周囲の人に面倒がふりかかるでしょう。しかし、ウソはつけない」と語ったのだった。チベット仏教の五戒(不殺生・不偸盗・不妄語・不邪婬・不飲酒)の教えに従う僧侶はウソ(妄語)がつけない。公安警察の尋問に、正直にダライ・ラマへの信仰を語ってしまうツェリンのように。

深い信仰を持つ人々は心を偽れない。ただそれだけなのだが、信仰を持たぬ中国共産党にとってはそれがふてぶてしく頑迷な抵抗と映る。それがすべてダライ・ラマ14世の存在のせいなのだとして、耳や目を覆いたくなるような苛烈な弾圧を加えて、彼らの心からダライ・ラマを追い出そうとしてきた。映画は1979年に抗議ビラ一枚配っただけで処刑された祖父と97年、その孫にあたる尼僧ペマの拷問死に絡む物語が描かれているが、同じような物語が1959年のダライ・ラマ14世亡命以降、いったい何度繰り返されてきたのだろう。

昨年3月14日にラサで発生した騒乱は、そういった弾圧の果てにたまりにたまったチベット族の怒りも〝燃料〟となったことは間違いない。あの騒乱のさなか、普段は「私は漢族とともに生きる」と冷静だったラサ在住のチベット族の友人は「中国政府の言っていることはウソばかりだ!」と悲鳴のようなメールを送ってきた。中国中央テレビは、ダライ・ラマに扇動された凶暴なチベット族によって無辜の漢族市民が殺されたと報道していが、暴動とは無関係の多くのチベット族の青年や僧侶が発砲を受け犠牲となった、と訴えた。その遺体は家族のもとに返されることもなかったという。

事件は甘粛、青海、四川などのチベット族自治州にも広がり、その犠牲者の正確な数は把握されていない。事件後に言われなき罪で逮捕され拷問にあった人もいた。青海省の知人から聞いた話では、ある女性は、インドに亡命した家族に安否を確認する国際電話をしただけで、国家機密漏洩罪で逮捕され、映画の中でペマが受けたようなおぞましい拷問を受けたという。事件後に、全国の役所や大学や企業に勤務するチベット族は厳しい自己批判を迫られた。ウソのヘタな大勢のチベット族が仕事を解雇され、制裁を受けた。あるいは制裁の厳しさと経済的豊かさというアメの前に屈し、同じチベット族を密告するものも現れ始めた。「チベット族の最悪の敵はチベット族」「チベット族だけ文化大革命時代に取り残されている」。そんな声も聞く。状況は映画が作られた10年前から変わっていない、いやむしろもっとひどくなっている。

昨年、北京五輪聖火リレーのおかげもあって、日本を含む国際社会はチベット問題に注目した。北京五輪を成功裏に終えるため中国もダライ・ラマ14世との対話を再開させるなど妥協姿勢も見せた。しかし、五輪が終わると、国際社会のチベット問題への関心も薄れつつある。しかも3月10日のチベット民族蜂起(チベット動乱)50周年という敏感な季節を迎え、地域のチベット族への監視や締め付けぶりは「何がおきてもおかしくない」というほどの緊張感をはらんでいる。

映画の主人公の歌姫・ドルカとドアンピンのように、個人であれば漢族とチベット族は恋人にもなれる。チベット問題を生んでいるのは人ではなくて政治、体制だ。しかし政治や体制が生む悲劇を食い止めるのは人しかいない。この映画をみて、何がしか胸に迫るものを感じたら、どうかその心を偽らず視線をチベットに注いでほしい。今なお厳しいチベットの現実に歯止めをかけるのは、そういう一人ひとりの心だと思うから———福島香織(産経新聞記者)

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チベットから生放送を実現するまで

『風の馬』を観て、チベットとは不思議な縁だったのだと改めて感じました。映画の中で、歌手のドルカと拷問された従姉妹のペマが幼い頃の思い出の歌を歌うシーンがあります。「牧場で靴をなくした兄弟 靴のことは心配しないで 明日の朝 市場へ出かけて 新しい靴を買いましょう」といったチベット語のフレーズで、ゆっくりなテンポの童謡なのですが、この歌が入ったVCDを2002年に中国青海省の西寧(せいねい)という街で手に入れました。当時はまだ西部大開発が進んでおらず、西寧は偏狭の地だったのですが、チベット人が集うレストランやバーで大ウケしている「唐古拉」(タングラ)というVCDがあり、若者が総立ちで踊るようなポップな曲の中の1曲目がこの歌だったのです。
今にして考えると、『風の馬』が最初に欧米で上映され、中国政府が不快感を示した時期に、「中国資本できちんと管理するから、自分たちの歌を歌って良いですよ」というガス抜き的な意味でチベットの歌やVCDの販売を許可しており、そういったせめぎ合いの真っ只中だったのでしょう。チベット人の若者があの歌で楽しそうに踊っているお店に入ったのですが、なぜか怪しい雰囲気があり、「外国人なのに来るな、なぜお前たちがここにいるんだ」というような目で見られました。それがずっと腑に落ちないまま、2007年に初めてチベットのラサを訪れたのです。

チベットへ行くきっかけは、青蔵鉄道が開通して恐ろしい速さでチベットに行けるようになったので、これはチャンスだと思ったのと、ハイビジョンのハンディーカムが売り出されたので、面白い映像が撮れるという期待がありました。そこで、チベットの知られざる風景と文化を写真にとらえ、現地から配信するという趣旨で日本ポラロイドに提案をしたところ、企画が通ったので、2007年に約2ヶ月間にわたりアート・プロジェクト『チベトロニカ』の総指揮を務めました。『チベトロニカ』とはチベットのラサ等で取材し、直接触れて実感したことを日記、写真、映像、音声等でレポートする企画です。映像配信には「iTunes」のポッドキャストや「YouTube」、「Skype」を使用し、更に現地からインターネットラジオでの生放送を行いました。

チベットから外の世界に出てくる情報は、NGOや一部のジャーナリストが書く内容と中国政府の発表が真っ向からぶつかっています。あまりにも違うので、チベットに実際に行くまで、どちらの情報も信じ込まないようにしました。「人助け」を大義名分にする活動家にはむしろ不信感を持っていたほどです。また、そもそもチベットを取材する行為そのものにリスクがあるので、当初はプロジェクトが中断されないことだけを気にしていました。ですが、現地入りしてあちこち撮影する内に、だんだんと皮膚感覚で実情を捉えられるようになりました。このプロセスも未発表のドキュメンタリー素材になっています。何日かすると、NGOや活動家側の主張がおそらく100パーセント正しいな、という直感が働きました。そうなると、現地からリアルタイムでいったい何を伝えるのか、ということが次の大きな課題になりました。見たまま・感じたままを語ってリスクを冒すべきか、沈黙すべきか。チームのみんなで相談した上、イチかバチかで全部しゃべっちゃおう、という結論に至りました。

『チベトロニカ』の暗黙の了解として、政治的なタブー領域に触れないという条件が盛り込まれていました。本音と建前を使い分けたのですが、建前としては『チベトロニカ』でチベットの風光明媚を語るという内容で、放送は夜11時に終了し、その後ポッドキャストの『i-morley』に切り替わったことを生放送の中で宣言しました。そこから先はポラロイド社の協賛企画の管轄外である、という形式を取ったわけです。『i-morley』は本音の部分で、チベットでの最初の3日間は、中国がいかにチベットを良くしたかについてわざと話し、時おり「うっかり」危険な言葉を発したりしながら中国の反応を見ました。今の状況では、おそらく日本語版や英語版の「Skype」でも盗聴可能なのではないかと思いますが、当時の「Skype」では、日本語版や英語版には盗聴機能がついていなかった。だから結局私が何を発言しても、中国からは何も言ってこなかったのです。ですから、帰国間際には「ダライ・ラマ万歳」だとか「チベット独立!」だとか、好き放題に言っていました。

インターネットは四つ星以上のホテルだと、中国政府が太い光ファイバーをひいているので中国国内では東京都内よりも速いスピードで繋がり、その日チベットで撮ったものを同じ日に日本でも見ることができます。政府が政策として4000m級の山に回線をひいたのですが、利用者が少ないので回線の繋がりが速いのでしょう。また、街のネットカフェだと監視が厳しいのですが、ホテルはチベット人が出入りできない場所ですから監視が甘かった。いろいろな実験をしましたが、運良く危険な目には一度も遭いませんでした。
チベットの印象ですが、イメージしていたものとは全然違いました。山に行くと写真で見たチベットと同じ風景でしたけれど、ラサは既に漢族化が進んでいましたので近代化していました。驚いたのは、中国で買ったNokiaの携帯で「Skype」を着信できることです。「Skype」から直接一般電話や携帯に電話をかけることを「SkypeOut」というのですが、東京に『チベトロニカ』の心臓部があり、そこから「Skype」で発信するとNokiaの携帯に繋がります。誰も考えたことがないと思いますが、携帯が中継車のマイクになるのです。実は行ってみて初めて現地の状況がわかったので、その新たなデータを基に、日本側にいたハッカー級の技能を持ったチームが次々と通信の裏技をリアルタイムで編み出していきました。その連携の上で生放送が成り立ったのです。

ラサ市内を歩く際は、必ず日本語が話せる中国人ガイドがついてきました。ガイドは監視も兼ねていましたが、彼らが知っている日本語は限られていますし、英語はほとんどわからないようなので、仲間同士の「危険な」話は英語でしました。チベット人が集まる賭場に入り込んだ時には、中国人がいないのでチベット人が「ハロー」と陽気に声を掛けてきました。ICレコーダーをONにしたままで、いろいろな面白い話を聞きました。例えば、「チベット人は自業自得だ。自分たちの文化を大切にせず仏教ばかり信じて科学を否定した。だから近代化に遅れて今の状態になった」といった内容をチベット人が話してくる。でも実は、彼が本当に言いたいことは「若者が漢化政策でチベット語を話せなくなり、文化消滅の危機にある」ということ。相手にもこちらの意図がわかるので、言ってはいけないことをモザイクがかかったような遠い言い回しで話し、阿吽の呼吸で会話しました。もうひとつ気をつけたのは、中国政府は検閲でフィルムやカードを没収するので、ICレコーダーに録音したデータをその日のうちにサーバーにアップし、ICレコーダーからすぐに消すということです。
『風の馬』はデジタルカメラだったからラサで撮影できたわけで、アナログの時代だったら難しかったでしょう。『風の馬』の内容は、私がいろいろなところで漏れ聞いた話とほとんど同じだと思います。この内容をチベットで劇映画として撮ったのはすごいと思う。今もどんどんデジタル化していますから、ITの技術を駆使すれば中国の「金の盾」と言われる情報検閲システムが無力化し、真実がすべて明るみに出る日も遠くはないでしょう———モーリー・ロバートソン(ラジオDJ/ポッドキャスト『i-morley』主催者)

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たか
5.0
 実話を基にした物語風な作品です。
 チベット問題に関する作品ではありますが、人間模様と言うか、人間の欲がテーマの一つなのかもしれません。欲や怒りや無気力感...様々な負の感情があります。
 そんな負の感情が渦巻いていた前半と比べて、後半のビデオ撮影からラサを去る時の彼らからは、不謹慎ながら、どこか活き活きとした正の感情を感じてしまいました。
 そして一般的なチベット人のラサでの生活って、今までなかなかイメージできませんでした。もちろんこれは映画ですが、それが少しだけイメージできるようになった気がします。