なるほど。だから僕たちは感情と真逆の行動を取るし、不自然な作り笑いを浮かべるし、感情と言動の矛盾に悔し涙を流すのだ。
全ては自己防衛のため。
社会的評価を守るため。
ライリー自身の感情であるヨロコビ一味だが、それらをキャラクター化しアイデンティティそのものであるライリーがまるでロボットの様に操作されているかに描かれるが、あれら全てがライリー本人であることを忘れてはいけない。
様々な感情は時折、衝突して問題を引き起こすがその全ての感情の行動原理は「ライリー(自分自身)を守るため」。
あの司令部が一人一人にあるのだと想像すると、自分自身だけでなく友人知り合い恋人ですら愛おしくなる。
特に変な行動を起こす知人がいたら「いま司令部のあいつらがパニクってるんだな」と微笑ましく思わせてくれる程である。
あの衝突が人間的な可愛らしさであり、したたかな嫌悪感でもある。
実生活で完璧に見える知り合いっていうのは、あの司令部キャラたち全員のIQとチームワークがずば抜けてるのだろう。
超自己的なストーリーのはずだが、感情を自己と敢えて分断することでより自分自身が愛しくなるというまさにディズニーマジック宜しく、物語でしか提示できないこの世界観は唯一無二。
(あ、『脳内ポイズンベリー』があったね。まさかの同年の邦画作品。日本も負けてないよ。頑張れ真木よう子さん。)
ライリー脳内のリーダーがヨロコビなのに対して、母親の脳内リーダーはカナシミだったり、父親はイカリだったり。
人生経験によって軸にする感情が変わっていくのかもしれない示唆も芸が細かい。
このままライリーの成長と共に幾らでも続編が作れる最強コンテンツを生み出したPIXAR。ぜひライリーの一生分の話に付き合っていきたい。