"イマジナリーフレンド"
子どものころの想像の友達という概念が変わった。
イマジナリーフレンドの記憶が微かに思い出すことが出来た身なので、この関連の物語には滅法弱い。
「大人になったら尚更必要なんだよ。」
だからわたし達はイマジナリーで作り出した、大切な友だちを思い出す必要がある。
彼らは成長の過程で忘れ、見えなくなってしまったわたし達のすぐ側にずっといる。そして「キミなら、大丈夫だよ」と抱きしめてくれている。
"愛した存在は忘れないものさ"
記憶は言葉と共に、心に生き続けている。
心の中で存在している、そして想像で作り出した友達は本当は今も目の前にいるのかもしれない。
わたし達は思い出す必要がある。
ひとりじゃない。
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こんな話を思い出した。
亡くなった犬は、天国で仲間たちと楽しく走っている。そして思い出される度にその子の上には花が降り注ぐ、だけど花の意味も分からない、ただ楽しくて嬉しくて走っている。でも時に何となく寂しい気持ちになるのだという。そしていつものように楽しくみんなと走っていると仲間一匹だけが立ち止まる。どうしたんだろうと見ていると、今まで見たことの無いような表情をして、自分たちの走る方向とは全く違う道に全力で向かって走っていく。その先にはその子を抱きしめようとする一人の人間がいる。それを見て思い出す、自分にも愛した人がいたと。その繰り返しなんだとか。
想像の友達も共に生きた動物も人間も、愛したものには命が宿る、そして必ず生き続ける。心は常に一緒にあるのだ。