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ブルー きみは大丈夫のLCのレビュー・感想・評価

ブルー きみは大丈夫(2024年製作の映画)
3.9
笑い声上げないように必死だった。
予想もしてなかったくらい笑わせてくるやん…!

笑わせてくると言っても、恐らくは「制作側に意図されたものではない」ものもちょこちょこあって、例えば、冒頭の呪文とか。
お楽しみのポップコーンセットを購入した際に、何故かポストカードを渡されて、見たらかの有名な名前を言ってはいけない人と、生き残った人が睨み合っておる。
そんなわけで、主人公が「アバダケダブラ!」とお花を咲かせるところで、わしがアイスティを吹き出さなかったのは、割と奇跡に近い。

映像表現的にはびっくりするような匠の技がたくさん垣間見えて、そういう意味でもずっと楽しい。
暗い廊下に立ってたおばあさんは、明るい廊下で会うと印象違ったり、そんな小さなところまで。
そして暗い廊下で見るおばあさんを「 Creepy witch 」と言う、そんな仲間たちの方がたぶんクリーピーな存在であるかもしれない。そんな細かいところまで面白い。
母親さんに関する描写が最小限過ぎるのに、ちゃんと何があったかも、家族の気持ちも汲み取れる、こういうとこで作り手の確かな実力を感じる。

子ども扱いしないで。
そうやって急いで成長しようとしつつも、彼女にとっては「自分を必要としてくれる存在」の確保は何よりも大きかったろうと思う。
母親さんに次いで父親さんまでとなると、ひとりで生きていかなければならない圧は嫌でも大きく乗しかかったろう。
子ども扱いはしないで、私は大丈夫なんだから。でも離れないで、私のことずっと気にかけて見ていて。そんな気持ちが叶うのは、自分が他者に頼られ、必要とされる存在になった時だ。
だからこそ、彼女が自分ひとりで向き合えるようになった時、彼らの姿は視界から消えた。
自分ひとりで立ち向かうべきことがある。でも、そんな場面を乗り越えたり、また直面したりする時、目を閉じれば、いつだって応援が来てくれる。
いつだって、絶対の味方になってくれる、自分だけの友だちが。

考えてみると、わしはよく育った屋久杉程の規模感のペンが友だちだったような気がする。
最後幾つかの再会や出会いを見ながら、そのペンのことを思い出したりしていた。
そいつは言葉を使わない。でも、自由自在に色を生み出せたし、何でも描き出せた。
わしはかつて、言葉を使わずに意思疎通できる相手を心の支えにしていたんだなあ。
題名にも抜擢されたブルーくんは、「好きなものをお腹いっぱい食べたい」子の友だちだったんだろうと思う。わしも幼い頃、お腹いっぱいに食べることを夢見たりしたっけ、ハムとチーズのエンパナーダを。
コップに入った氷と水さんがとても好き。飲みたい!美味しい冷えた水!でもそれが友だちだと飲めない!という、顔もわからない子の気持ちを痛い程感じる。
透明人間さんを友としてずっと忘れない父親さんが最強なのは素直に認める。
わしを映画館へ連れてってくれた人は、「デッドなんとかってヒーローの作品の面接場面で、何とかピットがやってたなあ」という観点で楽しんでいた。クレジット画面でその人の名前、見た気がするなあ。

でもごめん、やっぱり思い出してもニコニコしちゃうのだけど、大きなクロワッサンをさ、あんなふうに食べながら横目で見てくる人がいる状況ってさ、落ち着かないよね。クロワッサンに思い入れがなくても、気になっちゃうよね。
物語として大切な場面だったけれど、やっぱり面白くてひたすら笑いを堪えていた。
音楽まで「笑うとこちゃうで」と突き付けてくるけれど、どうしてもわしには面白かった。クロワッサンじゃなくて、お嬢さんが気になるよ。あなたはそれ、味わえてるかい。
全部で3個あったように思う、分けてもええんやで。大切なプレゼン直前に食べるのは難しいけれども、それはそうだけれど。

そして絵画から出て来たり、作品にぶつかった際細々と絵の構成品が飛び出したりする場面がとても好き。
絵の中に行けるとしたら、今なら Millet という人の「 Des glaneuses (落穂拾い)」を希望したい。深い意味はないけれど、今の気分では、その絵の中で直接景色をぐるっと見回してみたい。
かじっちゃった誰かは、同じ絵をかじるのが好きなのかな。そんなことも気になったり。カレーの絵とかどうだろう、気に入るかな。

軽い気持ちで見に行ったら、驚く程良い作品だった。
素敵なダンスには思わず拍手したくなったけど堪えたぜ、父親さん。
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