くりふ

ピアノ・レッスン 4Kデジタルリマスターのくりふのレビュー・感想・評価

4.0
【肉欲の鍵盤】

何度も見ているが、やはり劇場で堪能したく…。でも4Kの恩恵は感じなかったな。むしろ、初見と同じ劇場なのに映像がボケた印象。一方、音は、当時の技術ではやはり浅かったんだね…と気づきしみじみ。

…しかし、それらは脱ぐ前の衣に近く、脱いだらやっぱりスゴかったので、どうでもよくなった。

概ねの感想は、以前に書いたものと同じだけど、
https://filmarks.com/movies/33541/reviews/132124219

6歳で話すことを止めた主人公エイダの、人生賭けた極端なレジスタンスに、より共感できました。

“自分の意志が怖い”とまで言う女は、19世紀スコットランドの男社会では自然に生きられない。肉体は仕方なくその場に置くが、心はピアノに移して、音楽の中で生きようとする…方が、確かに自然と思える。

エイダ役の第1候補はシガニー・ウィーバーだったそうだが、あの長身は逆効果では?今ではホリー・ハンター以外に考えられない。小柄でピアノも弾けたことからも、彼女が得るべき役だったと思う。

対する、ハーヴェイ・カイテル演じるベインズの不器用さは、監督の、男を描く不器用さとうまくマッチしたと思う。

ベインズは、ただ“青髭”に堕ちゆく夫スチュアートと違い、エイダの“The Heart Asks Pleasure First”…まず歓びを希う心、を海辺で聴いてしまう。

エイダが欲しくなったベインズは、スチュアートがマオリ族へ地上げをしていたように、彼女に取引を申し出る。彼にとっては、アレでも彼女と、対等であろうとしたのでしょう。

またベインズは、エイダの心と体が分裂しており、それが統合されないと、彼女と結ばれないことを無意識にでも、理解していた気がする。だから彼は、人生を賭けた“エイダの調律師”となり得たのではと。

あの取引は、エイダにとっては屈辱的だったが、ベインズも後に気づくし、ああいう条件が、ああいう時代で揃ったならば、エイダが受け入れることも前進でしょう。それが結末で、ある身を結ぶわけだしね。

肉欲がキー(まさに鍵盤の鍵)となって女が目覚めることは、一見ポルノにも思えるが、そこから性欲に溺れるわけじゃない。女性監督がこう描いたことが当時では、やっぱり危うくも新鮮だったと思う。

そして、エイダがピアノで心を語っていたものが、肉体で心を語るように統合され、ピアノが彼女のBGMへと逆転する愛のシーンが、本作の沸点なのだと改めて、実感したのでした。

ところで、最後に出る“FOR EDITH”が気になったのですが、監督の母親に捧げているんですね。

映画では、エイダの母親には触れませんが、監督が書いた小説版によると、エイダの生後すぐに亡くなり、あのピアノは母の形見とのこと。…ナルホドそうなると、エイダが母離れする物語としても、一本芯が通っているとわかるし、彼女が自分の娘と同じように、子供っぽいことにも納得です。

が、映画は母を避けたわけだし、ピアノはエイダの分身と捉える方が、私は複合的で面白いと思います。

それにしても、娘役のアンナ・パキンはカワイ過ぎ!史上2番目の若さでアカデミー助演女優賞を獲りましたが、現場で実際は、無理に演技させてはいないのでは?大切な、第三の女ですね(第二はピアノ)。

一方、明らかな欠点として、今だからより目立つのは、マオリ族をフェアに、きちんと描いていないこと。これは、映画の大きなノイズになっていました。

<2024.4.12記>
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