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オーメン:ザ・ファーストのmasatのレビュー・感想・評価

オーメン:ザ・ファースト(2024年製作の映画)
2.1
流石、ブラムハウスとは違う。
2桁違うという事もあろうが、メジャーがその気になった時の、脚本に始まり、ポストプロまでの品質保証を垣間見た。

しかし、そもそもこのネタ、大して面白くない。(のに、70年代、銀河大戦前夜のオカルトブームに乗っかり、量産されたのだから驚く)
そんな、まるで“ノストラダムスの大予言”級の胡散臭いネタ、70年代にしか通用しないネタを、しかも“前日譚”として、70年代初頭を舞台にし、さらに現代の世相を反映させようとし、描こうとするのだから、限界がある。
だからこそ、よく練り込まれた、よく見せ切ろうとする20世紀フォックスの気概を感じる。

そんな観点から特筆すべきは、
“オーメン”前夜のこのお話は、
大変なことになるぞぉ〜ヒュ〜ドロドロ、と終わる訳もなく、意外なキャラ、意外な“女性チーム”を“誕生”させ、その新キャラが運命の岐路に佇むと言う幕引きを迎える。まさに“ウーマン・トーキング”の始まりという(実はあの時、裏で繰り広げられていた)新たな事象を描き、今の時流にまんまと本線を乗っけて、閉幕するのである。
即ち、本線と枝分かれした、新たな夜明けを迎え、映画は終わるのである。
新たな“女性”たちの物語を付加し、物語は拡張し、いや拡張させ、一大オーメン・サーガの幕開けを高らかに宣言、終わりの始まりを迎えて、終わるのであった。
“安く作って、まあまあコワい”映画に慣れきってしまった我々は、忘れていた、そんな大メジャーの強引な底力を、思い知るのだった。

強引な脚本、美意識の高い画、オマージュも含めた殺人美学、今風なエゲツないカット(特に首吊り炎上Nunの亡霊現るシーン)など、なかなか見せるのだが、残念だったのは、役者陣の地味さ。ヒロインの華の無さは元より、厚みの欲しいポジションが、チャールズ・ダンスやソニア“蜘蛛女の接吻”ブラガ程度では、ミス・マクニールやリーガンを復活させたブラムハウスに鼻で笑われる。
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