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箱男の教授のレビュー・感想・評価

箱男(2024年製作の映画)
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石井岳龍監督がついに、見事なまでに自身の作家性と、純然たるエンターテイメント性に両立に到達した、と狂喜してしまった。

前作の「自分革命映画闘争」にて、呆れるほど変化のない、ある意味では常に若々しい「自主映画的感覚」が今も沸騰していて、そこが稀有な才能と見える部分もありつつ、映画作家的に「成長できていない」要素に映る点でもあった。
それが、観客の求めるエンターテイメント性とは合致せずに結果的にエモーションの暴走を引き起こし、ある意味では作品が「難解」になりがちで、ファンとしても「ひょっとして面白くないのでは?」と訝しんでしまうことがこれまでの作品群にはあった。

しかし、本作にはそういったストレスを感じる部分が基本的にはない。
もちろんダサくは感じてしまう「ドーパミン表現」などは相変わらずなのだが、基本的にはもうそこの部分は「お約束」として、石井監督の作家性の範疇の表現ではないかと最近は思う。

ただ安部公房の原作世界を忠実になぞりながら、表出する現代性。
特にその「匿名性」と裏腹の「承認欲求」。
男性性の生む「誇大妄想」。
それらをさも「高尚げ」に語る認知の歪みなどを露わにしていく。
そこが原作よりもさらにアップデートされた形で唯一匿名ではない戸山葉子(白本彩奈)のキャラクターによって鮮明となる。

はっきり言って、石井監督のこれまでのフィルモグラフィーで「物語」やその「構造」において感心する、といった体験はなかった。
ストーリーはやや付属品的で、映像としてのイメージを具現化する添え物的な意味合いが強かったし、もっと言えば、これまでは脚本があまり上手くなかったのだと思う。その点が飛躍的に改善されている。

加えて、これまでも顕著だった「ギャグ演出」が見事にハマっているのも驚き。
「箱男」として覚醒したニセ医者(浅野忠信)と現役の箱男である「わたし」(永瀬正敏)の対峙、からのバトルシーンも見せているアクションの激しさ、撮影の大変さも込みであまりにバカバカしく、ほぼアドリブにも見えるアフレコでのやり取りがちゃんと滑稽で笑えるし、痛快。

何より、本作の質を何段階も高めているのが「わたし」の内省的自我が、さも高尚な行為として美化されていることへのカウンターとして常に葉子の客観的で、的確な視点というのが見事に挟み込まれている点。
「箱」への執着が、葉子という他者によって解体されても尚間違う「わたし」の愚かさは男性性の陥りがちな「こだわり」でもある。
一見、性的にも搾取されがちなキャラクターとして配置されながら、常に外部の視点を持ち、付き合い切れる範囲で関わり、付き合いきれない時には潔く去っていく。

その「間違い続ける」主人公の「わたし」の「イタチの最後っ屁」のような告発も。
「箱男」という異形になりすましたつもりでた自分と、匿名性に自分を置きながら自己の承認欲求と、他者を見下し、ジャッジする態度は我々と同質で「どっちもどっち」であるという絶望感の切れ味は見事。

石井岳龍ファンとしてとにかく満足の出来。
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