もちたん

成功したオタクのもちたんのネタバレレビュー・内容・結末

成功したオタク(2021年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

韓国アイドルを推して9年目(私も記録アプリ入れてる)の덕후として観ないわけにはいかなかったので滑り込み鑑賞してきた。

某年末大祝祭の様子から始まった冒頭、こちらまでテンションが上がって既に観ていて楽しかった。会場の屋台で売ってるぼったくりペンライトにまでも愛おしい気持ちになった。

ずーっと『わかるよー!』と思いながら心の中で何度も頷きながら観ていたし、まるで数年前の私自身を見ているような、古くからの友人を見ているような感覚になってとても懐かしかった。
ミキサーぶっ壊したのも最高で大好き。
それでいて切なくてやるせなくてちょっと泣いた。


まず、オタクは愛と矛盾の生き物だと私は思っている。
推しに対して『アイドルなんていつでも辞めていい!ありのままで自分らしく幸せに生きておくれ!』と思う反面、『どうか少しでも長くステージでキラキラする姿を見せてほしい…』とも思っていて、自分でもそのどうしようもない矛盾にホントどうしようもないわーと思っている。

そういう答えの無い事柄に対してぐるぐると行ったり来たりする様はもしかしたら否オタクの方々にはつまらない堂々巡りだと思われるかもしれない。
でもオタクの私には分かる。そうやってただただ考えることですら楽しいんだよな。その堂々巡りですらオタ活の一環なんだ。それでいて突然思考をフッ飛ばして今までのことフル無視で無かったことにしたりもするので、オタクは愛らしくも愚かな生き物なのだ。

オタクは身勝手だ。勝手に好きになって勝手に冷められるし、そうしたって誰にも咎められない。オタ活なんて趣味だし、責任もないし、推しの犯罪に加担したという罪悪感を持つ必要も無いくらい、推しにとって私達は他人だ。
だけど、これだけ長い間熱心に愛を注いできた、自分の生活に当たり前に存在した人がこんなに酷いことをした卑劣な人間だと突然突きつけられたら…
すぐに切り替えられるだろうか?知らないフリをして탈덕できるだろうか?関係ない人間だと割り切れるだろうか?

私が彼らのためにできたことなど無いし、私に落ち度は無いと知っていても、私の方には彼らとの山ほどの幸せな記憶があって、彼らの曲や映像に救われた夜があり、彼らと出会えたからこそできた選択があり、知れた世界があり、今の私があるのだ。
だからこそ気持ちの整理が一筋縄ではいかずに、何時間も同志たちと堂々巡りに語り合ったり、こういう映画を撮ってみたりしてどうにか成仏させようとするんじゃないだろうか。

推しという存在に夢を見て、癒しや幸せ、自己肯定感までも求めてしまうこと。彼らが生き甲斐になってしまうこと。依存することは危険だ。なぜならこういう事件が起きた時に彼を推した私のこと・その頃の記憶すら否定してしまうから。

かけがえのない私の推しがくれた言葉に『ラブマイセルフ』がある。
推しを熱狂的に愛し応援する分、自分のことも大切に愛する
結局これがとっても大切なんだと思う。

当たり前だけど、推そうが推すまいが私の人生も彼らの人生も進んでいく。私の人生の責任は私が取るしかない、彼らが居なくとも私は私に誇りを持てるような生き方をしたい、じゃなきゃ愛する推し達に顔向けできないじゃないか!
好きなら好きでいい。だけど自分の人生も自分でしっかり生きること。何があっても推しのせいにしないこと。万が一推しを推せなくなった時に自分が迷子になってしまわないように、推したことを後悔しないように、まずは自分自身を一生懸命推すこと。
そうやって生きていたらきっと、好きになったり離れたりを繰り返しながらも誰かのことを推し続けていけるんじゃないかなと思う。この映画で結論づけている『成功したオタク』になれるんじゃないかなと思った。

いろんな気持ちや考えがぐるぐるして私こそ整理がつかない。びっくりするほど長文になってしまった。

あと、やはり映画の根幹にある『誰であろうが性加害を絶対的に許さない姿勢』と『民主主義への当事者意識』には考えさせられるものがあった。
韓国のファンダムが日本のそれより成熟しているという話でなくて、国として国民がきちんと政治に参画しているし国もきちんと国民の声を反映させているのだと思う。国民全体における性犯罪や政治への関心と意識の高さが見て取れて改めて羨ましく思った。どうしたら日本もこうあれるだろうか。

オタ活は平和があってこそ成り立つものだ。オタ活に向ける熱量を自分の住む国の政治にも向けていかなきゃ、私達みんないつまでも『成功したオタク』でいるために。
もちたん

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