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理由なき反抗のKHのレビュー・感想・評価

理由なき反抗(1955年製作の映画)
4.0
3人の高校生が警察に保護され、取調べ室に収容されているシーンから始まる。3人の高校生はそれぞれ家族の問題を抱えていることが序盤のシーンでわかる。
3人の若者の抱える悩みと危うさが不安定な構図のカメラや、夜の表現によって演出されていた。
特にジェーム・ズディーンの家族では崩壊した古典的な家庭像や失われた父性が問題となる。
悩める若者はきっといつの時代にも存在しただろうし、一つの問題に焦点を当てて現代のシステムを一緒くたに非難するのは簡単だが、この問題はこの時代特有の若者の感情なんだと思う。
戦後10年が経ち物質的にも豊かで不自由なく生活できるようなり、少しづつ社会もリベラルな方向へと進んでいく。勿論最大公約数的に自由で誰もが生きやすい社会になっているといえる。
しかし誰もが豊かになりつつある社会の一方で若者の抱える漠然とした不在感が浮き彫りにされる。
ジェームズディーンの「パパにママを殴る勇気があったなら、、、」というセリフは現代では時代錯誤だが、彼にとって1番の指標となる「父」が失われていることがわかる。

そんな彼らは存在感を大人たちに、社会に示し続けるための手段を「反抗」以外に持ち合わせていない。何かに反抗するということは、結局安全圏に居てその何かに依存していることと表裏一体の関係性になっている。しかし同じ屋根の下で家族と共に過ごさなければならない高校生は反抗したとしても家族が全てなんだと思う。

プラネタリウムのシーンが印象的だった。「地球誕生の光が遠く届かず、他の星々によって発見される前に闇に消えるだろう。人間の存在は取るに足りないように思える。」このナレーションのシーンがまさに彼らを表しているように感じた。
途方もない宇宙とたくさんの星たち。夜空を見上げたらあんなに見える星たちも、見たことのない桁数の距離によって隔てられている。絶望と少しの安心を感じる。
中高生なんて自分の立ち位置を客観視できないし、大人たちが「時間が経てば笑い話になる」なんて言葉だったり、「みんな大体そんなもの」なんて言葉だったりが許せなかった。それでも中高と卒業して思い出すと嫌な記憶も少しづつ美化されていって、きっと中学生の自分から軽蔑されると思うけど、それはそれで成長なんだと思う。そんな感じで中高生の頃永遠にずっと続くと思っていた学生生活を目の前に客観的になれないが、宇宙の話みたいな大きな話には飛びついてナレーションの様に人間の存在の小さいにハッとした。目の前の生活の主観と、抽象的なものは対する客観をグルグルと行き来していたあの時代の脳内は、時代によってシチュエーションは違えども皆共通してると思う。
同監督作品の「夜の人々」もそうだが揺れ動く危うさと、そこから生まれる魅力をもった若者を表現するのが上手い。
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