「実存は本質に先立つ」
というサルトルの言葉があって。
ぼくはこの言葉が大好きだ
そして黒沢清の映画は、
まさに実存が先立っている映画だなって、
いつも思う
多くの場合映画は、
シナリオという名の本質があり、
シナリオを動かすための駒として、
人、場所、モノ、コト、セリフが立ち現れる
しかし、黒沢作品は、
それらしく紙袋に入れられた拳銃、
突如として現れる森、廃墟、
付き合っているらしい男と女、
それらが本質からは独立して、
いかにも映画らしく存在している
なんだか気持ちがいい
世の中も本質ありきではなく、
人、モノ、コト、そのものとして、
感じることができたならば、
もっと心地よく生きられるのだと思う
よくある光景から、
ズルズルとあり得ない方向に、
自体はエスカレートしていく
仁義なき戦い?
いや、さっきまでごく普通の
一般人だった連中だ
映画って、ほんと
不自由であり自由だ
このような映画を、
一流のキャストをあつめて、
ウェルメイドに作れるのだから、
観ているほうはたまらない。