原作既読だが細部は覚えてないので違いはあんまり分からなかった
読者と漫画家ひいては作り手と受け手における、お互いを(良くも悪くも)照らし合う関係性の話と受け取った
創作物含め表現全般が持つ、送り手と受け手のある種のディスコミュニケーション
人は同じものを見ても千差万別の受け取り方をするから誤解も発生する
というより全ては誤解しか無いのかも知れない
好意的な誤解か否定的な誤解か
藤野を背中越しに見ている我々観客もそうだけど、ドア越しに四コマでコミュニケーション取る藤野と京本は作り手と受け手の「隔絶」を象徴してるのは明らかだろう
現在はSNS全盛時代なので特にそうだけど、受け手の声は作り手に良くも悪くも届きやすい
想像よりも喜んでもらえたり想像よりも怒られたり(この映画を見るとジョーカー2の大炎上を想起する)
勝手きままなその声は間違いなく作り手にも影響を与えてしまう
つまり作り手と受け手は相互に反射し合った関係性だ
だから何だ?という話でもあるが、ヘンリー・ダーガーのような一部の変態を除いたら、作り手は受け手が存在しないと良くも悪くも成立し得ない
とはいえヘンリー・ダーガーのようなアウトサイダーアートこそ本当の表現なのではないかとは思ってしまうが…
・京本の性格が可愛すぎる
・某事件を取り入れた内容について
ワンアポは良いのに、これには若干の拒絶反応が出てしまうのは物語を「エモさ」に落とし込んでるかどうかの違いかも知れない