B姐さん

土砂降りのB姐さんのネタバレレビュー・内容・結末

土砂降り(1957年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

1957年の松竹作品といえば小津の『東京暮色』。大昔に観たので記憶が曖昧だが、とにかく暗かった。
そして『土砂降り』もそれに呼応するかのように暗いのだが、受けた印象はどこか違う。すごくアバンギャルドだ。それも、さりげなく。小津調(日本間のマスター・ショットや人物の正面のバスト・ショットなんかそっくり)の明るいホームコメディかと思いきや一転、当たり前のように話が性急に展開して、いきなり収斂したかと思えば、想像しなかったところに着地する。

つれこみ旅館を経営する母親(妾)とその子供達(姉、弟、妹)、それとその父親の話、いわゆる「家族もの」だが、演出の視点が後半にどんどん変わっていく。簡略化すると、
姉と恋人→母子家族(+父親)→夫婦→母子家族
という感じ。そして各々の物語を語る時に演出、撮影も変わっていく。
心象風景を表現するのによく「雨」が使われるが、本編ではそれに加え「蒸気機関車」「(機関車の)煙」「踏切」が出てくる。でもそれは感情が決壊するサインやトリガーとして使われ、「鉄橋」は、あちら側が「世間」「一般社会」でこちら側は「自分達の住むところ」「家庭」を表す装置としても機能している。だから脳内ではそういうことを情報として処理できているのだが、感覚的な「変」さが観ている間ずっとつきまとう。

普段、自分達の住んでいる宿(家=つれこみ旅館)にくる「世間」の人間たちを「昼間からなにやってるんだよ」とからかうのだが、その「世間」の人間から「生き方」を相対化させられた途端の、物語が動きだす感じがいい。それからは、「機関車」の「黒煙」はますます黒く立ちこめ、「鉄橋」を包み、雨はじだいに「土砂降り」になっていく。

『夜の片鱗』から中村登の映画を観始めたのでノワールへの転調は耐性があったのだが。純朴な桑野みゆきが、母、姉の血を引き継いで、転落する萌芽のようなものを岡田茉莉子が直感するようなショットがあり、それが一番ビックリしてしまった。そして案の定、『夜の片鱗』で堕ちていくのだ。
まあ、勝手に2つの作品をつなげているのだけど。

『東京暮色』と違い、ビターかもしれないが、バッド・エンディングではない。それは中村登の「やさしさ」ではなく「意地」に感じられた。
自立とか、生き方の肯定とかは、結局「意地」だと思う。

@シネマ・ヴェーラ渋谷(8/24/2014) 35mm スタンダード
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