ShintaroKurisu

蛇の道のShintaroKurisuのネタバレレビュー・内容・結末

蛇の道(2024年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

漸く観れた。
原作?哀川翔が出ていたモノは観れていないので、そことの変化は分からない(これを踏まえて後日観ようと思う)し、今まで観た黒沢清作品は『カリスマ』しかない。『カリスマ』は、好きな人に言わせてみれば、割と黒沢清の真骨頂みたいなところがあるそうなので、僕が『カリスマ』を観て感じたサイコさや意味不明な展開は彼の良い意味での特徴と捉えていいのだろう。

これらを踏まえて、僕は黒沢清節が全面に出た作品だと思う。観た後に残る、柴咲コウに対する胸糞悪い感じも、なんだか悪くない。

ただ、『カリスマ』と比べて今作は、小夜子とアルベールの犯行動機が分かりやすく(小夜子に関しても、最初はなぜアルベールに協力したのか分からなかったが、終盤彼女の子供も同じ組織に殺されたということが明かされたり、夫の青木崇高の言葉とかでなんとなくそこに執念を燃やす理由が分かった)、テーマとストーリーも割と理路整然としていて飲み込みやすかった。だからそれ故に粗も目立ってしまった印象。『カリスマ』の時のように、粗が多少あっても、全体的に意味不明だからノリと勢いで誤魔化せる!みたいなムーブが出来ず、粗は粗としてしっかり目立っていた。

例えば排泄のシーン。磔にされてる訳ではなく、ある程度行動に余裕のある拘束のされ方だったように思えるが、捉えられた彼らは何故そのまま漏らす形で排泄をしたのか。ズボンくらい下ろせるでしょう。

ゲランとラヴァルに殺し合いをさせたシーンも不可解だった。元を正せば、小夜子が彼らに「もうアルベールには飽き飽きしたから、関係のない第三者を犯人ということにして早く話を終わらせる、解放も約束する」とけしかけ、それを裏切る形で2人に殺し合いをさせるわけだが、裏切られたゲランとラヴァルにとっての共通の敵は、彼らを裏切った小夜子なはず。仮に渡された銃に1弾しか入っていなかったとしても、なぜ小夜子を撃たなかったのか。小夜子も、自分が撃たれるかもしれないのに、なぜ銃なんか渡したのか。
小夜子視点で考えても、正直2人は用済みな訳で、どちらが先に死んだところで別に関係なく、小夜子がどっちかを撃ってしまえば良かっただけの話。なぜそんな回りくどいことをしたのだろう。途中、ゲランを捕えるための拘束設備を作っていたシーンもあった訳だし、クリスチャンを捕えるための設備をまた新たに作ることだってできたはず。

また、粗というわけではないが、作中の西島秀俊、吉村の存在意義がどうも自分にはわからなかった。彼を登場させた真の意図は?小夜子の二面性(サイコパスとしての側面と精神科医としての側面)を描きたいがためだけに登場した人物なのだろうか。彼がやたらと小夜子に執念を持った後に自殺してしまうのもなんだか気味が悪い。

と、まあ挙げ出したらキリはないが、なんとなく今作は「作り上げられた狂気」感が拭えなかった。ナチュラルサイコでない感じというか。

ただ、観客を精神的に恐怖に追いやる黒沢清の演出は素晴らしかったし(反復されるセリフ、シンプルかつスマートだけど怖い)、日本人とフランス人という2人を主人公に据えた際の違和感の無さ(一個人の意見)は凄かった。胸糞は悪い。アルベールもどこか鈍臭いし。あとあそこまで関係ない者もクソミソにやったんだから、小夜子もクソミソにやられて欲しい。
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