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94歳のゲイのmgのレビュー・感想・評価

94歳のゲイ(2024年製作の映画)
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この作品を観て、更には舞台挨拶にも居合わせた人なら、きっと長谷忠さんという人のチャーミングな人柄に和まずにはいられなかったと思う。この映画を通して、そんな長谷さんが取材を許可した際に監督に返した言葉や、「僕にとってはまるで奇跡」など、この人の言葉から数々の重たいものと金言それぞれを受け取ることになる。ありのままを封じられてきた代わりに詩を書くこと・文学の中に表すことで自身を表現してきたという背景を知った上で受け取る、選ばれた言葉の重さたるや。

同性愛が「治療可能な精神疾患」として公然に語られた時代を生き延びた長谷さんが、ケアマネージャーであり、ゲイをオープンにしながら活動する梅田さんを通して出会いが増え、世界が広がっていく…そんな長谷さんの日常のごく一部を、語る姿をこうして映像に残すことの重要性は言わずもがな…

やっぱり、と言いながらカムアウトを手放しにすすめることはしないけど、それでも“属性や意思を敢えて可視化する”ことの意義を噛み締める。
そしてこの映画以外にも、様々なメディア媒体で長谷さんへの取材記事が散見される。それって、それだけ長谷さん自身もひとつのロールモデルになろうとして可視化に尽力してくれてるのかな…と(勝手に)思うと、胸がギュッとなる。自ら孤独を選ばされてきたはずの長谷さんの意志に。

しかし、allyでありたいひとりとして、その魅力的な人柄故に、マイノリティ(ゲイ)は魅力的で善良であるというイメージをマジョリティは期待を満たされていないか?と自らの点検をしたくなってしまうし、とにかく強く思うのは、ドキュメンタリーという分野の映像作品の持つ性質に思い巡らせずにはいられない内容に終始した印象だった、というところ…
長谷さんにポジティブネスを押し付けたい訳じゃないけど、この出自・背景をもってして取材への協力を惜しまない姿勢に多くの人が励まされていると思う。それだけに、製作陣の知識の浅さが垣間見得てしまうのが勿体無い。

ふんどし姿で集会してるシーンってなんだったんだ?とか、大阪公立大学・人権問題研究センターの新ヶ江教授による解説ってほんとにこんな表面的で浅い感じの内容に終始してたんか?とか、この映像制作に関わる監督を始めとするスタッフが、異性愛者じゃなくて同性愛者だったらどんな時間になってたのだろうとか、思い馳せずにもいられなかった。


さいごに、舞台挨拶にて印象的だったこと…
登壇した長谷さんが「梅田さんという人がいて、僕はその人のことを一生忘れないと思う」と何度も言っていたこと。そして、進行の人が最後にひとことを求めると、「みなさん、長生きしてね☺️」と言っていたこと。「自分が健康で、ここまで生きてきたからこんな奇跡みたいな(出会い)ことがあった」

できることなら、長谷さんという人を知れるこの映画を観たい!長谷さんに一目会いたい!とこれだけの観客が集まったこと、そこにどれどけのエネルギーが詰まっているかを伝えたかった。
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