◆人間一人一人の人生はとてつもなく重い
児童養護施設にいるさまざまな年齢の子どもたちの姿を映し出すドキュメンタリーであるが、ただ、子ども一人一人を順番に映し出しているだけのようなのである。
一人一人と言っても、集団で暮らす施設なので、ほかの子供たちと話したり、遊んだり、食べたりして、関わり絡みながら暮らしている。だからもちろん、ほかの子供たちも一緒に画面に入ってくる。
しかし、人間は一人一人違っていて、一人一人それぞれ自分だけの人生を生きていることを強く思い知らされた作品だった。
どうしてそう思ったのか、言葉でうまく説明できないかもしれないが、自分が映画を観ながら感じたことを追いながら、できるだけお伝えしたい。
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●ただ映し出されているようで
ドキュメンタリーといっても、当然編集はされている。いや、ドキュメンタリーだからこそ、編集が命になる。
長時間撮影された映像から、何らかの意図で2時間ほどに収まるように選び出される。選んだ素材をどういう順番で並べるのかも計算されているはずだ。
それなのに、なぜか物語があるようには感じなかった。ドラマ性がないのだ。
私は、映し出される子どもの映像を、ただそのまま観るしかなかった。何らかの意図を差しはさんだり、勝手な予測をしたりすることを阻まれているようだった。
●大丈夫かなと心配になった
湧いてきた感情は、彼、彼女をただただ心配する気持ちだった
虐げられたり、うまくいかなかったり、壁にぶちあったりして、傷ついたりしないかな、負けてしまわないかな、と心配になった。
だって、卓球の選手になりたいと言うけれど、どう見てもそんな野心があるように見えないし。お母さんと会う約束をすごく楽しみにしていたのに、すっぽかされても文句一つ言わないし。施設を出て大学に行ってからも、施設にしょっちゅう遊びにきてしまうし。
大丈夫かな、大丈夫かなと思った。
●優しすぎるのでは
画面に登場する子供たちは、親や肉親から切り離されている。それだけが共通点である。
彼・彼女らの多くは、一緒に暮らす仲間のことを、家族ではないという。でも友達でもない。友達以上、家族未満というような位置づけにあるようだ。
とても、ものわかりがよいというか、悟りすぎて、あきらめすぎている感じもする。
それで幸せになれるのだろうか。幸せをつかむことをあきらめてしまうのではないか。傷つくことを恐れて、そもそも幸せを望むことすらやめてしまうのではないか。
厳しい世の中を生き抜いていくには、優しすぎるのではないか、と思った。
●強く生きようとする意志が見えた
でも、映画を見ていると、そんな心配など吹っ飛ばされるような瞬間が訪れる。
外からの恩着せがましい気まぐれな心配など吹っ飛ばすように、彼・彼女らは、しっかり生きようとする秘められた意志のようなものを垣間見せるときがある。強く生きようとする瞬間が見える。
もともと周りに期待なんかしちゃいないのかもしれない。
なんだか自分の心配など、単なる一時の気まぐれであるような気がしてきて、自分が恥ずかしくなる。
●一人一人が唯一無二の存在なのだ
それでも、やっぱりいつか壊れてしまわないか、そんなに強くはないのではという心配は消えない。
そんなふうに心配と安心の間を揺れ動きながら画面を見続けた後、動かし ようがなく自分の胸に迫ってきたことがあった。
それは、人間は一人一人、違っているということだ。
当たり前かもしれないけど、今さらかもしれないけど、一人一人、ほかの誰とも違う自分の人生を生きている、唯一無二の存在であるのだなという思いが胸の中にぐわーっと広がってきた。
人の苦しみや喜びは、自分以外の誰にもわからない。外からは前向きに生きているように見えなくても、やっぱり必死に自分の中で格闘しながら生きているのだ。人間はそういう存在なのだと改めて強く感じた。
だから、一人一人の人生はとてつもなく重く、貴重なものだ。誰の人生とも取り替えようがないし、ほかの人とひとくくりにできるものではない。どんなカテゴリーにも本来、入れてはいけない唯一無二の存在なのだ。だからこそ、守らなくてはいけない。
そんな風に思わせてくれた映画だった。
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「14歳の栞」を見て衝撃を受けて、同じ監督が作っているこの作品をぜひとも観たいと思っていました。普通のドキュメンタリーと、何かが違うのです。どう違うのか、説明するのが難しいし、言葉にしてしまうと薄っぺらになってしまうような気もします。ずっしりと、存在感という形のない重みだけが残るような感覚に近いのかもしれません。
なお、この映画は、DVD化や配信はされないそうです。それでも採算が成り立つのはすごいなと思います。ドキュメンタリーなので長い時間かけて撮影もしますのに……。ぜひ映画館で上映中にご覧くださいませ。