ジョージア映画祭13本目。
そして俺がジョージア映画祭2024のラストに観たのがこの『母と娘 - 完全な夜はない』でした。
ぶっちゃけまったくの偶然ではあるのだが、いやこれはね、本作をジョージア映画祭の締めとして観たというのはちょっと出来過ぎてるだろというくらいに完璧なチョイスだったと思いますね。ナイス俺。まぁそもそも今回のジョージア映画祭は主にラナ・ゴゴベリゼ監督の作品を中心として観るためにスケジュールを組んだのだが、その中でも本作がトリになったというのは偶然にしては出来過ぎてるなと思いましたよ。順番としては『昼は夜より長い』『渦巻』『ペチョラ川のワルツ』『インタビュアー』『ひとつ空の下 - 3つのエピソード』『金の糸』ときて本作『母と娘 - 完全な夜はない』と観たのでそりゃ感慨もひとしおとなるのも当然なのである。
その理由の説明も兼ねて本作のあらすじをザッと説明するが、まず本作は劇映画ではなくてドキュメンタリー映画である。そしてタイトルにもあるように母と娘を描いたドキュメンタリー映画なのだが、そのタイトルにある母というのはヌツァ・ゴゴベリゼというジョージア初の女性映画監督でラナ・ゴゴベリゼの母親でもある人である。当然娘というのはラナ・ゴゴベリゼ自身。ヌツァ・ゴゴベリゼは映画監督として数本の映画を撮ったもののそれらの作品は封印処分になりその名は残らず、そしてスターリンの大粛清によって流刑に処されてその頃まだ幼かったラナと生き別れになったものの何とか生還したという経歴を持っていてそのことはラナ監督の『ペチョラ川のワルツ』で描かれている。本作は母と娘のそういった人生の出来事とラナ・ゴゴベリゼ自身が監督した作品を振り返りながらヌツァ・ゴゴベリゼというジョージア映画史の中に埋もれた映画監督に再び光を当てたドキュメンタリー映画である。
ま、身も蓋もない言い方をすると要はスーパー自分語り映画ですね。俺の人生こんな風だったよというものである。普通はそういうものってあんまり好意的には受け取られないですよね。自分語りというのは酒の席なんかで上司が「俺が若かったころは…」とか始めようもんなら余程喋りが達者でもなければ大抵は嫌われるものだ。でも本作はスーパー自分語りだからな。上記したように二次大戦前のジョージアで生まれて自国初となる女性映画監督の娘として生まれ、スターリン時代の大粛清や二次大戦を経て、紆余曲折ありながらも自身も母と同じ映画監督という道を歩んだ人物の自分語りなのだから、そこら辺のおっさんやおばはんの自分語りとはわけが違うわけですよ。これだけの人生を送られたら「おばーちゃんもっとお話聞かせて!」となるってなもんだ。しかも最初に書いたように俺は今回のジョージア映画祭でラナ・ゴゴベリゼ監督作品を中心的に観た後のラスト一本として本作を観ることになったのだから、そりゃまぁグッときますよ。
そういう意味では監督本人によるネタバレ満載の映画というか、自身の作品に対する解答編という感じの趣きはありましたね。作中で母であるヌツァ・ゴゴベリゼ作品も引用しつつ、主には自身の作品を多数引用しながら自分の人生を語っていくのだが、そこでは初見のときに難解に思えた『インタビュアー』とか『渦巻』とかの描写もあぁあのシーンはそういうことだったのかと腑に落ちるところがあったんですよね。そういう意味も含めて本作はラナ・ゴゴベリゼ作品をいくつかは観た後に観るのがいいかと思いますね。本作の前に観た『金の糸』が劇映画としての集大成なら本作はドキュメンタリーとして、それらを含めた全自作品への答え合わせというところはあったのではないだろうか。それは野暮といえば野暮ではあるのだが、でもかなりグッとくるものはありましたよ。
ほとんど説明臭い描写を入れない作風から察するに、きっと本作が野暮なものになるというのはラナ・ゴゴベリゼ自身も思っていたのではないかという気はするが、どうしても自作品の中で言っておきたいことがあったからその野暮さも飲んだ上で本作を撮ったんじゃないだろうかという気がする。
その言いたかったことというのは多分これだと思うのだが、本作はラナが最初の母の記憶を語るところから始まり、それは母であるヌツァ・ゴゴベリゼが撮影のために長期間の旅に出るときに駅で「お母さん行かないで!」と泣く娘ラナの訴えを聞きながらも列車に乗ろうとする母親に対してその場にたまたま居た老人が「それは子供を泣かせてまでやる仕事なのか?」と問うたというものである。まるで『ハンター×ハンター』の第一話そのものである。その問いはラナ・ゴゴベリゼの人生で常に頭の中にあり続けたらしく、映画って年端も行かない子供を放っておいてまで作るべきものなのだろうか、と自身に問い続けていたらしい。
その問いに対して自らの全作品と母の作品からの引用を持って最終的に導き出される答えが、もうたまらなかったですね。愛しい人が去ってしまっても、祖国が大国の属国となっても、そしてその中で表現が弾圧されたとしても、それでもやめないことには何かがある。その何かというのはラナ・ゴゴベリゼの前作のタイトルから拝借すれば、金の糸なのだろう。彼女はこの本作を作り上げることによって自分と母とを金の糸で繋ぎ合わせたのだと思う。それは「子供を泣かせてまでやる仕事なのか?」という、その問いへのこれ以上ない答えそのものなのだ。
ものすごく良い映画だった。しかし最後に蛇足的に書いておくと、本作は個人的には『金の糸』と同じく4.4か4.5でもいいくらいのスコアにしたかったのだが、上記したように本作はラナ・ゴゴベリゼ作品を観ている人ならともかく本作がラナ・ゴゴベリゼ作品の一本目だったら全然響かないだろうなという気はしたので、そこは客観性をもってやや低めのスコアにしておいた。それでも俺基準で4.0以上というのは相当な上澄みではあると思うが。
いや素晴らしかったです。是非ともラナ・ゴゴベリゼ作品数本と、他のジョージア映画もいくつか観た上で本作を観ることをオススメします。