2024年に制作された『exergue - on documenta 14』はそんなドクメンタの14回目の裏側を撮った作品である。実験映画を除くドキュメンタリーの中では『Resan (The Journey)』に次いで映画史上2番目に長い14時間8分の長さを持つ本作は、多くの問題を抱えた「ドクメンタ14」の裏側をフレデリック・ワイズマンですら撮れないであろう領域まで掘り下げて捉えている。アーティスティック・ディレクターであるアダム・シムジクを中心にキュレーターの仕事、政治、資本主義との闘い、そして美術の限界を捉えた本作は複雑怪奇な「ドクメンタ14」もとい2010年代以降のヨーロッパ情勢を知る上で貴重な資料として機能している。元々、2時間のドキュメンタリーとなる予定だったのだが、次々と発生する問題などをまとめていく過程で最終的にこの長さになったと監督は語っている。
しかし、雲行きが怪しくなってくる。目玉展示である『本のパルテノン(Der Parthenon der Bücher)』に問題が発生するのだ。これはフリードリヒ広場に設置された、文字通り多くの本で作られたパルテノン神殿だ。ナチスドイツが焚書を行った場所と民主主義の象徴であるパルテノン神殿を結び付けられている。『本のパルテノン』では、「不思議の国のアリス」「1984年」「一般相対性理論」などといったかつて発禁処分を受けた作品がビニールで保護され、柱へ設置されている。最終日になると、来場者はこれらの本を持ち帰ることができた。《アテネから学ぶ》を象徴する作品ではあるのだが、土台を作るだけでも約58万ユーロのうち50%を絞めていた。「そのお金で本物のパルテノン神殿を建てたらいいのでは?」と辛辣なコメントが飛び出すほどであった。ほかにも輸送費面で大きく予算超過する場面もあったが、アダム・シムジクは祭典を成功させるために、アーティストの魅力を最大限引き出すために動き、どんどんと予算が超過していくのである。芸術は資本主義を批判する役割を持っているが、巨大化するアートシーンにおいて資本主義に取り込まれていく。政治的で複雑な関係性の中で、芸術が行う問題提起がその問題へ取り込まれて行ってしまう中で葛藤するキュレーターの心理が浮かび上がってくるのである。決してアーティストを推す楽しい仕事ではないのである。
一方で、民主的に芸術によって世界に問題を提起しようとする活動に身を投じる中でより問題が浮かび上がってしまう事象を前にポール・B・プレシアドが語る「制度的廃墟論」が深く刺さる。制度はあるが機能しないことで廃墟となる様。別に操り人形のように思考停止に陥っている訳ではなく、個人個人がその時なにをできるかについて行動しながらも「ドクメンタ14」自体が資本主義、植民地主義の問題を抱えてしまっている様と正面から向き合った作品、それが『exergue - on documenta 14』なのである。