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exergue – on documenta 14(原題)
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『exergue – on documenta 14(原題)』に投稿された感想・評価

4.2
【ドクメンタ14の裏側で何があったのか?】
5年に一度行われる世界最大規模の現代美術展「ドクメンタ」。ナチス・ドイツが現代美術を「頽廃芸術」と呼び1万点以上もの作品を売ったり、焼いたりしたことへの反省からカッセルにて行われた前衛芸術家回顧展を前身とする祭典である。

現代美術の動向を知る上で最も重要な美術展のひとつであり、2002年に開催された「ドクメンタ11」ではナイジェリア出身のオクウィ・エンウィゾーがアーティスティック・ディレクターを務めており、シリン・ネシャットやインカ・ショニバレなどといった非欧米圏出身の作家を集め、植民地主義などをテーマにした展示が行われた。

2024年に制作された『exergue - on documenta 14』はそんなドクメンタの14回目の裏側を撮った作品である。実験映画を除くドキュメンタリーの中では『Resan (The Journey)』に次いで映画史上2番目に長い14時間8分の長さを持つ本作は、多くの問題を抱えた「ドクメンタ14」の裏側をフレデリック・ワイズマンですら撮れないであろう領域まで掘り下げて捉えている。アーティスティック・ディレクターであるアダム・シムジクを中心にキュレーターの仕事、政治、資本主義との闘い、そして美術の限界を捉えた本作は複雑怪奇な「ドクメンタ14」もとい2010年代以降のヨーロッパ情勢を知る上で貴重な資料として機能している。元々、2時間のドキュメンタリーとなる予定だったのだが、次々と発生する問題などをまとめていく過程で最終的にこの長さになったと監督は語っている。

本作に触れる前に「ドクメンタ14」の概要について説明する必要がある。2017年に開催された「ドクメンタ14」は、《アテネから学ぶ》をテーマにドイツ・カッセルとギリシャ・アテネの2会場で開催された。「ドクメンタ」史上初の2会場開催であり、来場者数もトータルで約123万人と歴代最高の成績となった一方で、巨額な予算超過や新鋭アーティストばかり集めた展示、西洋中心主義を主張するように見えるスローガン、経済危機の際に緊縮財政を押し付けられたギリシャをドイツが持ち上げることへのグロテスクさなどといった問題を抱えていた。

東亜大学芸術学部アート・デザイン学科、清永修全氏の論文『「ドクメンタ14」をめぐって』によれば、「ドクメンタ14」における両国の関係は新たな「植民地主義」をもたらすとギリシャ国民は受け止めているとのこと。

最終的に約700万ユーロもの赤字を叩き出し、「ドクメンタ」の親会社は破産の危機に立たされた。ヘッセン州とカッセル市が保証人になることに合意し、債権者の多くが未払い金の支払い延期を受け入れることで破産を回避した。あまりの巨額な赤字に対し、不正が行われたのではと監査も入った。

映画は「ドクメンタ14」の功績/功罪をフラットに描き出す。メディアが猛烈に本祭を批判する中、部屋で頭を抱えながらも淡々と話すアダム・シムジクの姿が捉えられる。冷静沈着、スーパースターのような佇まいのアダム・シムジクが東奔西走しながらコンセプトを構築していく姿をカメラは追う。ミーティングでは《アテネから学ぶ》をどのように落とし込むかを、紙やPC、写真を使って綿密に練っていく。新しいアーティストを探すためにベイルートやヨハネスブルク、コルカタと飛び回っていく。多忙な毎日であるが、彼は涼しい顔で冷静な判断を下しているように見える。束の間の休息で楽器を弾く余裕すら魅せている。

しかし、雲行きが怪しくなってくる。目玉展示である『本のパルテノン(Der Parthenon der Bücher)』に問題が発生するのだ。これはフリードリヒ広場に設置された、文字通り多くの本で作られたパルテノン神殿だ。ナチスドイツが焚書を行った場所と民主主義の象徴であるパルテノン神殿を結び付けられている。『本のパルテノン』では、「不思議の国のアリス」「1984年」「一般相対性理論」などといったかつて発禁処分を受けた作品がビニールで保護され、柱へ設置されている。最終日になると、来場者はこれらの本を持ち帰ることができた。《アテネから学ぶ》を象徴する作品ではあるのだが、土台を作るだけでも約58万ユーロのうち50%を絞めていた。「そのお金で本物のパルテノン神殿を建てたらいいのでは?」と辛辣なコメントが飛び出すほどであった。ほかにも輸送費面で大きく予算超過する場面もあったが、アダム・シムジクは祭典を成功させるために、アーティストの魅力を最大限引き出すために動き、どんどんと予算が超過していくのである。芸術は資本主義を批判する役割を持っているが、巨大化するアートシーンにおいて資本主義に取り込まれていく。政治的で複雑な関係性の中で、芸術が行う問題提起がその問題へ取り込まれて行ってしまう中で葛藤するキュレーターの心理が浮かび上がってくるのである。決してアーティストを推す楽しい仕事ではないのである。

一方で、民主的に芸術によって世界に問題を提起しようとする活動に身を投じる中でより問題が浮かび上がってしまう事象を前にポール・B・プレシアドが語る「制度的廃墟論」が深く刺さる。制度はあるが機能しないことで廃墟となる様。別に操り人形のように思考停止に陥っている訳ではなく、個人個人がその時なにをできるかについて行動しながらも「ドクメンタ14」自体が資本主義、植民地主義の問題を抱えてしまっている様と正面から向き合った作品、それが『exergue - on documenta 14』なのである。