"叫べない人もいる。"
目の前の相手への無償の愛。
我で選択することの大切さ。
歪な現代がここまで映像にかたどられることが可能なのか、表現のふくよかさに釘付けだった。
都市化された現代を生きる上で常に問われ続ける"自己"と"他者"。
誰に、どう、見られたいのか。
ご飯を生きるためでも死なないためでもなく、ただ、なんとなく食べている。という、切実な本音。この一言から染み出し始まる物語。
「自分は生きているのか死んでいるのか分かりません」
どうしようもない先輩とそれ以上にどうしようもない自分。
'ゴミ'がただ'ゴミ'であることの明朗さ。
人間味溢れるキャラクターたちが不器用にもがく中で全ては優しく肯定される。
今は一生。大阪を去る直前で、それを思い知らされる日々。いつかする、は今すぐしなければきっと一生しない。日常の連続性を度外視して"今このとき"何に時間を使って何を叶えるか?に対して忠実に生きることの重要性。
引越しは選択の連続で疲れた。熱を出すほど。これは必要?これは捨てる?の繰り返し。
でもそれをし続けるのが人生なのだと思う。
不自由を知って自由を感じる。自由が逆に苦しくて、不自由さに立ち返る。
生き方を問われ続ける暗闇の中で、ひとつの答えという光を与えてもらったような気がする。
自分の内面(身体の仕組みに至るまで)と社会(=他者の最高単位)を知ることの必要性に駆られた。
映画を作ることの苦しみと重大さがわかる今だからこそ、この作品が作られなければならなかった意味を痛いほど感じる。
居ても立っても居られないモンスターたちの呻きが夜の大阪にこだまする。
"人は生まれた時から曖昧な終身刑。"