SANKOU

幕末太陽傳のSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

幕末太陽傳(1957年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

優れたコメディ映画は人間の悲しみの部分をきちんと描いている。佐平次は飄々としていて常に明るいが、胸の病を患っているのと、おそらく人間の暗い部分をたくさん見てきたのだろう心の底には闇を抱えているのが分かる。
人間を簡単に信用しなさるなと彼は事あるごとに言うが、だからなのか結局は人助けをする心根の優しい人間なのに、敵を騙すにはまず味方からと言わんばかりに、一度は裏切るような真似をしてみせる。
とにかく世渡り上手なのと機転が効く男なので、無一文で遊郭で遊び尽くした厄介者にも関わらず、店の大将も女将もいつの間にか彼を手放すのが惜しくなり、何でもかんでも彼に頼ってしまうようになるのがおかしい。
大筋としては佐平次という男が遊郭で豪遊し、支払いを何だかんだと理由をつけて先送りにし、いざ蓋を開けてみれば無一文という有り様、埋め合わせのために遊郭で番頭の仕事などをして働くうちに、様々なトラブルを解決していくというもの。
異人館焼き討ちを企てる高杉晋作率いる攘夷志士たちや、板頭を競い合うこはるとおそめ、遊郭の放蕩息子徳三郎と父親の借金の肩に遊郭で働くおひさという娘、そして遊郭に出入りする様々な身分の人間の人生が錯綜する。
粋というのはこういうものを言うのかと思わせる佐平次と高杉晋作のやり取りが面白い。壊れた懐中時計をその度に佐平次が修繕するのだが、この壊れた懐中時計がこの映画のひとつの象徴のように思われた。
物語が進むにつれて、佐平次の体調は悪化していく。明るく振る舞いながらも、次第に咳がひどくなっていく。こはるにしてもおそめにしても、彼を愛しているとは言いながらも、本気で彼の体を心配しているようには思えない。それは彼を憎らしくは思いながらも、結局は使い勝手が良いので頼ってばかりの遊郭の人間も同じだ。
高杉晋作はあまり良くない咳をしていると、別れの際にもしかしたら再会する機会はないかもしれないなと壊れた懐中時計を彼に託しながら彼に言葉をかける。
佐平次は遊郭を去る直前に厄介な客の対応を頼まれてしまう。こはるにどうしても会いたいという老人に、彼はついこはるは死んだと嘘をついてしまう。涙を流す老人は、それならば供養されている寺まで案内してくれと佐平次に頼む。
佐平次は適当に返事をしながらこっそり遊郭を抜け出すが、外では先回りした老人が待っていた。
仕方なく墓地を案内する佐平次。適当な墓を見つけて、これがこはるの墓だと老人に示し、こっそり逃げようとする。それが童子の墓だと知り、老人は逃げる佐平次に嘘をつくと地獄に堕ちるぞと叫ぶ。彼も佐平次が良くない咳をしていることを指摘する。
ついに佐平次は我慢出来なくなり叫び返す。「極楽も地獄もあるもんか!俺はまだまだ生きるんでい!」
中盤から佐平次の暗い未来を予感させるような展開だっただけに、最後の彼の開き直ったような姿に少し救われる気がした。
佐平次役のフランキー堺が底抜けの明るさと、その裏に隠された暗い心をうまく表現していて素晴らしかった。
南田洋子演じるこはると左幸子演じるおそめの、強かだがどこか哀しさを感じさせるキャラクターもとても印象的だった。
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