僕の現時点の2024ベスト映画は『夜の外側』か『エストニアの聖なるカンフーマスター』です。この映画に関しては冷静ではいられない。文字通りこの映画に命を救われた思いでいる。言い換えれば、映画に命を救われたように感じるような映画との出会い方を初めて経験したということでもある。
昨日からずっとギルバート・オサリバンの歌声を聴き続けていて、その伸びあがる声の美しさにやっぱり『エストニアの聖なるカンフーマスター』の伸びあがる大ジャンプを連想する。どちらも永遠の声、永遠の映画だと思う。あの斜めに突き立った棒に対して垂直に飛び立つ主人公の決めポーズ、二つの斜めの線が画面を切り裂き、静止画のように映画も時間も止まるあのシーン、いやマジで、映画史に残るような美しいショットだよ。
この映画のいいところは主人公が別人になろうとしても過去に生きてきた自分を捨てたり変更したりすることはできなくて、そのまま新しくなろうとするところ。新しい自分になることよりも過去の自分を受け入れることこそが修行なのだ。もう泣きますよ……疲れ切った電車の中で、孤独に打ち震えながらエストニアの聖なるカンフーマスターを呼び出している。それは傾いた見えない十字架であるかもしれない。
9月の自分がこの映画を観ていたらちょっとマニアな面白い映画くらいでスルーしていたかも知れない。友人達とガストでご飯を食べながら(と言って三口くらいしか食べられなかった)涙をぽろぽろ流した後に帰ることができず、みんなで新宿武蔵野館に行った。だから文字通りこの映画は、自分にとって救世主のような輝きを放つ、聖なるカンフーマスターに他ならないのだ。そして物語が最後に到達する結論「涙こそがすべての悲しみを癒すスーパースーパーウェポンなのだ」これ以上に美しい結末を自分は知らない。泣き腫らした目でこの台詞と出会った時の戦慄をわかってくれるだろうか。映画全体のルックも非常に美しく、大好きな映画『神聖なる一族 24人の娘たち』を思い出した。映画は聖なるものであるかも知れないが、それを自ら名乗ることはとても尊いことなのだ。『墓泥棒と失われた女神』と共に自分をゆっくり癒してくれる映画だ。
ライナル・サルネ監督の前作『ノベンバー』はまだ観てません。観ます。新しく大好きな監督との出会いが沢山あって、泣きそうだ……