三樹夫

ガメラ 大怪獣空中決戦の三樹夫のレビュー・感想・評価

ガメラ 大怪獣空中決戦(1995年製作の映画)
3.8
平成ガメラシリーズ第一弾。監督はエンタメ志向の金子修介、伊藤和典のもしも怪獣が現れたらのシミュレーション的な脚本、名特技監督の樋口真嗣と、低予算ながらも色々なピースが上手くはまり、平成ゴジラシリーズは良いところもあるがキツいところも目立つとモヤつくところに、エンタメ度の高い素直に楽しかったとなる怪獣映画の登場となった。
しかしどストレート怪獣映画かと言うとギャオスのモンスター感だったりで変則的な所もある。シリーズ通してガメラは地球の守護獣ポジで、子供の味方でというかもっと言えば金子修介の少女趣味が反映されてか少女の味方となっている。金子修介の少女趣味は『1999年の夏休み』や後の『ガメラ3 邪神覚醒』などを観れば分かりやすい。

藤谷文子がどう考えても演技が拙く話せば話すほど見てられなくなるため、カット割りを細かくして長く喋らせないか台詞自体を短くしたり少なくするというやり方でカバーされている。助監督経験もある場数の豊富な監督の演出方法となっている。演技できない女の子に今まで演出いっぱいつけてきたんだろうなということが想像できる。

もしも怪獣が現実に現れたらというシミュレーションのようなストーリーになっており、テレビ番組はこういうように速報を出すだろう、自衛隊はこういうように動くだろうという想定を立て、ニュース番組と自衛隊の動きによってリアリティ感を出そうとしている。
島からピンポイントで福岡ドームまでギャオスをどうやって誘導したんだろと思うが、テンポの良さやトラックアップの多用で物語に勢いを出したりというので展開のガバなところに疑問を感じないように作られている。

特撮パートでは怪獣を映すアングルが、地表から見上げる、ビルの上高層部から、ヘリからの空撮と、できるだけ人が実際に見るアングルから撮るというようにこだわっている。低予算のために横に広がる大掛かりのセットは組まず、狭い範囲のセットでカメラ手前はローソンなど実際の看板や郵便ポストなどを配置してリアル感を出し、路地から人間が怪獣を見ているような撮影となっている。

人間が調子こいて地球を無茶無茶にするとまたギャオスが現れるかもしれないと寓話的になっている。この映画で調子こいた人間を象徴しているのがヴェルディ川崎のサポーターだ。初代ゴジラでゴジラ出現してるのに船でダンスパーティーやってた若者と同じように表現されている。象徴的にこういう奴らが地球をダメにしているというのでギャオスに食われるのだが、ただ作り手の単にサッカーのサポーターみたいな若者が気に入らなかっただけだろ感。スラッシャー映画によくある殺人鬼にジョックスが殺されるシーンみたいなもんでもある。
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