ファムファタールを超えたビースト。
『ゴーンガール』の読後感に近いかもしれない。魅力的に思えたヒロインが、どんどん得体が知れない存在へと変わっていく体験。
河合優実さんはあまりにも見事だし、『ふてほど』と同時期にこんな役を演じられるの信じ難いけど、
主人公のことがどんどん好きじゃなくなっていく作品は観てて辛いなぁ…。
彼女の特徴として描かれる、
・「没頭できることがないから、他人で寂しさを埋める生き方をしていて、身近な人の没頭が許せない」
・「暇ゆえに義憤が強くて、自分に関係が薄い物事にまで、激しい怒りや暴力でねじ伏せる」
・「でも特に文化的でもなくて、むしろ創作をよく思っていないし、自分の問題はトラウマのせいだと思っている」
みたいな描写に見覚えがありすぎて、観察の解像度の高さはすごいと思うけど、もっと愛せる形で見たかったなぁと思ってしまった…。
9割の絶望と1割の希望という感じで、正しい描き方に思うけども、描写が鋭すぎて&誠実すぎて観ていて辛くなるんだろう。
「拾えよ」とか「私が決めるんだよ」とかが本当にキツくて、
なんで彼氏は離れないんだろう?とずっと思ってしまったし、
仲直りがほぼ省略されているのもずるいと思ったけど、
「追われる側」という台詞にあるように、モテてきた自信に加えて、
甘えや試し行動としてああいうことをするんだろうなと観ていた。
根本を辿れば父親から愛されなかったことが原因なんだろうけど、
それを言い訳に、何をしても受け入れてもらえるということで承認を得ているように見えて、父と同類の人間になってしまっている辛さが大きい。
一人の時は自然体なのに、誰かといるときには妙に演技っぽかったり、
自分のことを知りたいと、病名を求めたり。
つねに自分だけの世界に閉じている人に思えた。
自分が好きなファムファタールはやっぱり「努力家の才女」で、
そうでないにしても『痴人の愛』のように、暴力ではなく知性を描いてほしいというか、上品さを残してほしいというか。
単純にノットフォーミーだったというだけなんだけど。
そういう人物像ではないにしても、描写の仕方に別解がありそうに思えた。
例えば『緑の光線』とか『すばらしき世界』とかは愛せたわけで、
気に入らないことに、うるせー!と言えることは大事だと思うし、
直接関係の薄いことに立ち向かえるような人への憧れもあるけど、
確固たる自分がありすぎて葛藤みたいなものが覗けないのかなぁ。
とってつけたような「脱毛サロンは無意味」みたいなことじゃなく。
急にきた中国語の「わからない」電話でゲラゲラ笑うでもなく、
もっと愛おしい思想のある主人公が好きだなぁと思うけど、
自分が読み取れてない魅力も大いにあるんだろうと思う(宇多丸さんが言うフードのこととか後から気づいた)。
https://www.tbsradio.jp/articles/88231/
側転とか「目が離せない」刺激的な感じは好きなので、好きって紙一重だなぁと思った。
とはいえ、自分の特権性というか狡さみたいなところを、
ぐさっと刺されたような感覚もあって、
「罪滅ぼしとしてのものづくり」の汚さとかは自分もあるよなぁ。
あそこまでひどくはないにしても、誰かを利用してるところはある。
「インター」のくだりとかも嫌な描き方するな〜と思ったけど、
『あのこは貴族』の意識があるというのを聞いて納得したし、
官僚の友達とのシーンも、恵まれている人間だという強調に見えた。
これを書いていて気づいたけど、
自分は「恵まれていることを自覚しなさい」と言われるのが嫌いで、
恵まれている人にもその人の辛さがあるのに、といつも思うんだけど、
キャンプのシーンとかはそれを象徴していたなぁ。
かといってあの彼も全然好きになれないのが辛かった。
夜中のデートでの立ちションとか、
ホテルでかぶさってのトイレとか、
ベッドの中で別れるように催促するのとか、
ああいうのがチャーミングに歌われる時代だけど、
やっぱり客観的にみるとキモさが強い。
でも怒りが表面化した後にすぐ謝るのは、
元彼も今彼も共通だったけど、
ああいう経験すごくあるから、思い出して辛くなった。
怒って然るべきような場面でも、怒れないよなぁと。
すごく好きだったシーンもいくつか。
ひとつ目は、最初の彼氏との再会。
「風俗行ったの、本当に傷付けたよね」で大笑いした。
じゃがポックルとバターサンドを買っていく人間で、
保護者みたいになる恋愛をしたこともあるから、
あの辺りもめちゃくちゃ身に覚えがあったな〜。
彼をただのかませ犬にしないで、
終盤でも生かしてきた方が好きなのにな〜と思った。
ふたつ目は、序盤のカフェでの隣の会話。
ADHDにありがちな、
隣の会話(ノーパンしゃぶしゃぶ)
に気を取られて話が入って来なくなるの、
めちゃくちゃ共感したし、
あれを描けるサウンドデザインもすげえな〜。
「自分の嫌なところは?」と監督が質問したら、
河合さんが「たまに人の話を聞いていない」と答えて、
そのエピソードを取り入れたらしい。すごい。
みっつ目は、唐田さんとの交流。
「ハチクマは鳥」とか意味的にはテーマに通じるし、
自主映画ってああいう詩的な会話で締めがちだけど、
あの後の全然興味なさそうな顔がメタ的で、
めちゃくちゃいいなと思った。
あれは彼氏とキスしたキャンプ場と同じところなのかな…?
病院通い始めてから現実が曖昧になっていった後の、
箱庭的な表現だと思うものの。
隣人の視点のような感じで、
喧嘩を俯瞰で見せるのもめちゃくちゃいいなと思った。
聞こえてくる英会話もすごく効果的。
PFF出身の監督だし、
ランニングマシン的な表現も多用する監督の印象があったけど、
あれをあそこまで我慢できるのがすごいと思う。
フリがあるからこそ生きる表現だなぁと。
(※追記:アトロクを聴いて、臨床心理士の方のお便りで、終盤の展開が「治癒」に向かっているものだと聴いて驚いたな〜。些細な変化のようなものはあったけど、やっぱり決定的には思えなかったし。そう考えると、唐田さんとのシーンはポジティブなものとして描かれているのだろうか。)
ナミビアの砂漠、というモチーフ。
やっぱり彼女は、井戸じゃなくて砂漠だよな…と思った。
枯れた場所で飢えていて、もらえる水を探している人。
近くにあるものをすごく雑に扱って、
遠くの人やものばかり願っている人。
(ASDの特徴として読んだ事がある)
スライスオブライフとしてはすごくリアルだし、
「こういう人を知っている」
「自分すぎて吐きそうになった」
「ボタンを掛け違えた自分だった」
という感想も多くみられるけど、
自分がみたいのはもっとフィクションならではの遊びがあるものだなぁ。
でも東京という砂漠は何でもあるようで何にもなくて、
物質量と情報量が多すぎて選択するだけで毎日が終わっていくという感覚にはすごく共感して、
テーマで言えば『エドワードヤンの恋愛時代』に近いのかもしれない。
わからない事があるという救いという点でも、
英語や中国語が一筋の光になるという点でも、
どこか通じるところがあるように思った。
描写の方向性は違えど、
雑さというか情報の許容量の少なさによって、
生きづらさが生まれてしまう人物にはめちゃくちゃ興味あって、
次に描くならこういう人を描きたいかもと気づかせてくれた。
答えが出ない問いを非言語的に描いててすごい。
そういえば山中監督だと、
『魚座どうし』を前にみたけど、
あの作品の進化系みたいなところはあるかも。
「事件の連続としての日常」というか、
「欲望に忠実なヒロイン像」というか。
クレール・ドゥニ、ドワイヨン、カサヴェテス、ユスターシュあたりが元ネタらしいけど、たしかに性格ではなく感情を描いているなぁ。
https://ecrito.fever.jp/20240927200000
『あみこ』もずっと観たいけど、
ポレポレでやってるらしいので行くぞ〜。
映画というもの、暇つぶしでみるには、分厚すぎる。
<その他メモ>
・冒頭のホンサンスのようなズーム。
反復されていて面白いなぁと思ったけど、
駅構内での撮影許可が出なかったことで出たアイデアらしく、
制約はやっぱり映画を面白くするなぁと思った。
最後の食卓もそうだけど、
FIXに見えて手持ちというシーンが多かったし、
「野生生物の観測」的なところがあるんだろう。
・ふとしたセリフの強さがすごい。
「紙ストローか」「あの縮毛矯正の」
冒頭から暴力性の布石は色々あったんだなぁ。
ハンバーグを触った手を紙で雑に拭いて、
そのままスマホ触れるあたりから、
この人とは仲良くなれないなぁと思った。
・あれくらいの階段からの転落で、
話せなくなるまでいくんだろうか?
もしかして嘘をついてるのではないか?
とすら思ったけど、むしろその方がホラーかも。
あのトランジションは見事だったなぁ。
・濡れ場でもないところでのヌードは、
どういう意図なんだろう。
ロシア語のシャツはかわいいなと思った。
・臨床心理士の自我を消した鏡としての対話。
中島歩さんのリモート診療。
ああいう細部のリアリティもすごい。
・「これからの目標は生存です」は本当にそうで、
みんな自分の生存に精一杯で、
他者を求める割には興味や優しさを維持することは難しい時代。
・脱毛サロンという舞台を描くの意外と新鮮。
現代的でありつつ東京的だし、ルッキズムと資本主義の権化。
「冷たくなりまーす」の連呼笑った。
・ルノワールか誰かが「キャラクターは歩き方に出る」という話をしていたけど、まさにそういう演出がなされていたとのこと。「雑かわいい」と言う評を聞いて納得。