モハマド・ラスロフの映画を見る際に生じる感興は、こんなものが映っているのは異常なことなのだという直感によるものだ。それは、この強迫的な題材への執着が、撮影現場を危機に陥れていくことは言うまでもなく、画面に含まれる顕在化しなかった無数の危機の痕跡から得られるものだ。
画面について見るなら、映画が始まって数分も経たないうちに画面に現れる胸に手を当てた人たちの等身大パネルを見逃してはなるまい。この不動の人物たちが画面に不穏さを定着させ、視覚化を蒙って立ち現われている瞬間のことだ。ヒューズがとんで暗闇に包まれたというホラー映画のようなただならぬ緊張感や、運転席の脇のバックミラーに映るバイクの不穏な予感も、それそのものとしては何の変哲もない画面が不穏さを醸し出している。二時間を超える上映時間を通して、この不穏さの持続は驚嘆に値する。