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女囚さそり 第41雑居房のくりふのレビュー・感想・評価

女囚さそり 第41雑居房(1972年製作の映画)
4.0
【妄念のメディア】

久しぶりに、伊藤俊也監督によるさそり三部作を見直したら、以前と印象変わりこれが一番面白かった!

今回は女囚彷徨物語。刑務所から脱走しても、女たちには結局、行く場所がない。そして、さそりは彼女らの想いを時に受け止め、時に突き放す、器の役割と化している。

前作で松島ナミの物語は終わり、さそりはメディアとなった(笑)。

物語は今回も、女囚フォーマットに沿っており、権力に虐げられた女囚たちが暴動を起こし脱走するが…そこからが、いきなり袋小路。どう見ても、結末を迎えるように思えない、ひたすらの流浪。だのに、この絶望に、妙に優しい、演出からの神視線が添えられている。

女たちが羽織る、灰色のポンチョがいい!

前作囚人服だとギャグになったろうが、修行僧にもガンマンにも見える、揺らぐシルエットがどうしようもなく映画的。この衣装採用が成功の半分占めるとも思える。

で、映画をタテに貫くのがさそりの強く、しかしフラットな視線。梶芽衣子の“眼ヂカラ”に慄く。

初見は、今は亡き銀座シネパトスだったが、大画面で見る“梶アイ”が澄んでいて驚いたものです。

“眼ヂカラ”と書きましたが、正確には“顔ヂカラ”で、瞳は意外とフラットなのです。あまり意志を感じない。これが相手を逆に、慄かせると思いました。見透かされ、吸い取られる…と不安にさせる視線。

これにダイレクトに反応するのが、女ジャック・ニコルソンとも言える大芝居を見せる、白石加代子演じる、女囚ひで。さそりに見つめられ錯乱し、本性を顕わしてしまう。彼女、スゴイわ。ラストの掠れた絶叫に苦笑と拍手!

個人的には、ネガティブ・エンタテインメントとして傑作だと思う。

さそりにラスト“大声で●う”見せ場を用意したのも、いま見直すと驚異的だ。この監督は、人外を描く方が向きなのだろうと思った。

笑い所もけっこうアリ。小松方正が、鬼畜任務を果たすため、人相隠そうとストッキング被るが、殆ど顔、変わってない!あと小林稔侍、今回もヒデエ役回りでご愁傷様、とねぎらいたくなった。

梶芽衣子さんは、前作と比べると俄然、フォトジェニックに美しくなった。彼女を眺めるだけでも、本作にはじゅうぶん、価値があります。

<2019.7.13記>
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