このレビューはネタバレを含みます
燈が一人でステージに立つ場面はその空間の角からの引きの画でカットも割らないのでスカスカの画面がしばらく続き、スローシネマじゃねぇんだからさ……と苦笑してしまった。いくら声優が羊宮妃那という驚異的な人材だからって、キャラの声だけで保たせようとするのは丸投げが過ぎるだろ。いや、もちろんここでの殺風景さは要するに段々戻ってくるバンドメンバーでステージが満たされていくこととの対比になっているわけだが……でも画面がスカスカなものを見せられても面白くはないので……。しかしこの作品、ここまで来ると逆に脚本の都合を感じさせるレベルで人が人と話し合おうとしないな。観る前にだいたいこんな作品ですと言われてRADWIMPSの「棒人間」とOfficial髭男dismの「Subtitle」みたいだな……と思っていたら、本当にそんな感じだった。
これはもう企画がそういうものなのだから仕方ないのだが、結局のところこのシリーズは音楽が主体で映像は従属物なのだろう。だから映画を観に来たこちらが悪い観客でしかないのだ。それでも態度の悪い観客である私は、「映画は演劇/美術/文学/建築/絵画などあらゆる芸術と対話するが、唯一音楽にだけは嫉妬する」という名言を放った黒沢清がドビュッシー「月の光」をねじ伏せんばかりに光と物体の動きと役者の顔で拮抗あるいは勝利してみせた『トウキョウソナタ』や、これは音楽映画ではないが『悪は存在しない』で圧倒的な石橋英子の音楽に映像と音響をもって渡り合った濱口竜介を思い出さずにはいられないのだ。いや、返す返すもTVシリーズの総集編映画に何を求めているのだと言われるかもしれないが、深田晃司の『本気のしるし 劇場版』は彼のフィルモグラフィーで現状いちばん良いじゃん!?