初めてウォン・カーウァイやエドワード・ヤンの映画を観た時に近しい衝撃を覚えた。
めちゃくちゃ良いシーンは色々あったけど、取り留めのないシーンの中にも、琴線に触れる言動が何個もあった。
映画は終わったけど、ユウタもコウもミンもアタちゃんもトムもフミも、少し先の未来で生き続けているように感じられる。これは希望のある映画だと受け取った。
雲に投影される電光ニュース、地震がより頻繁になった日常、憲法改正が可決した政権、どれも想像には難くなくてリアルに「ありえるかもしれない未来」を感じられた。フミという人間のキャラクターも、グレタ・トゥーンベリや絵画にトマトスープぶっかける団体のような人たちに啓蒙されてこうなったんだろうなあ、など想像できて解像度が高い演技だった。
本作でスクリーンどころか演技デビューというキャストも多いとのことが信じられなかった。皆自然すぎたけど、染まっていないからこそこういう演技ができるのか?
特にトム役のARAZIさん、あんな慈愛に満ちた所作、表情、声色、醸し出す雰囲気など全てにおいて元からああいう人でないとできないのでは?というくらい説得力があって異彩を放っていた。
フレッシュな俳優陣に負けず劣らず、校長佐野史郎も良かった。大人になると守るものや責任も増えるもんね。コウの母ちゃん然り。
強いていうなら車の逆立ちの下りだけえっ自分がなんか見逃した?と思うくらい唐突すぎた。まぁでも細けぇことや合理性はいらねぇと自分をごまかせるくらいには他の全てが良すぎたな。