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CURE キュアのRのネタバレレビュー・内容・結末

CURE キュア(1997年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

実家で。

1997年の邦画。

監督は「トウキョウソナタ」の黒澤清。

プライムにて鑑賞。

話はある日、殺人事件が発生し、現場に赴いた刑事の高部(役所広司「3度目の殺人」) はそこで首から胸にかけてX字に切り裂かれた死体を目にする。そして、加害者である犯人は何も覚えていなかった…。その後同じような犯行の事件が多発する中、やがて犯人たちは揃って犯行直前にある男と出会っていたことが発覚するというもの。

黒澤清、現在公開中の「散歩する侵略者」の監督であり、日本を代表する名監督の一人である。

その黒澤清が初期に監督した一本であり、間違いなく世に「黒澤清」を知らしめた一本、それが「CURE」だ。

本当は観る予定がなかった。「怖い」と聞いていたからだ。

けど、プライムのラインナップで見つけたその日から、どうしても頭から離れなくなって、それまでに様々な猟奇的な作品を観た今なら観れるかもと思い、ようやく鑑賞しました。

なるほど、確かにこの作品、怖い。

観終わった後、頭の中がグワングワンして、今も少し気持ち悪い。

何が怖いってやはり一連の殺人事件を影で操る「間宮邦彦」が怖い。

演じるのは「カイジ」の中の人、萩原聖人(「ナミヤ雑貨店のキセキ」)。

この人のイメージといえば「カイジ」であり「アカギ」であり、シャンプーのナレーションの人であり、麻雀好きの人であった…はずなのに…。

この間宮邦彦はどうだ。

フラフラと突然現れては記憶喪失なことを抜きにしても会話もとっちらかった世捨て人。

なのに、気がつけばスッと相手の懐に入り、身も心も「支配」してしまう。

「ヒメアノ〜ル」の森田のようなサイコパスとも違う、「ブリッツ」のバリー・ワイスのような愉快犯とも違う、得体の知れない存在。

しかも、間宮の行動は所謂「殺人教唆」の一言で片付けられないところがまた怖い。

薄暗い空間の中でライターの火を灯して「あんたの話を聞かせてよ…」と話しかける間宮の口からは具体的な殺害方法に関する発言は一言もない。

ライターの火や溢れた水が垂れる様に注力させ、甘言で煽る様や、相手からの質問に答えないで、それ以上の質問攻撃で相手の逃げ場を無くすなど間宮の心理的行動自体も興味深いが

それによって、本来なら善良であるはずの小学校教師だったり、警察官だったり、女医の内にある「ダークサイド」を炙り出し、その結果考えられない行動に走らされる様は「催眠」というよりは不可解な「魔法」のようで、その得体の知れなさがまた恐ろしい。

もはや人が巻き起こす行動というよりは間宮という異分子が生み出す説明不可な「天災」のようで…。

特にショッキングだったのは中盤での、でんでん(「あゝ荒野」シリーズ)演じる警察官のシーン。

引きの絵で日常的な空間で突然何の気なしに起こる「非日常」。

煽る音楽もない、劇的なショットでもない、本当になんの変哲もない日常そのものからのカウンターアタックに案外「殺人」というのはこういう「不意に」起こることなのかもしれないと、なんだかその一部始終をじっさいに起こった場面であるかのように覗き見しているような錯覚を感じ、また身の毛がよだつ。

その後の事件の発起人である間宮にたどり着く、刑事高部、二人のやり取り及び心理戦が全編殺伐と不穏な空気感を一切緩めることなく展開されるわけなんだけど、やはり1番恐ろしいのは終盤。

高部のウィークポイントでもある、統合失調症気味の妻、文江(中川安奈「インターミッション」)の突然の無残な「死体」ショットも、もちろん総毛立つくらい恐ろしかったんだけど、間宮によって生み出された新たな「モンスター」、そしてそのモンスターによって早くも萌芽された人物によってその後待ち受けているであろう予感によって突然終わるエンドロールの後を引く怖さに戦慄した。

今まで「殺人」というものはどこか遠いものだと思っていたけど「殺したいくらいの憎しみ」というものは誰の心にも多かれ少なかれ存在するもので今作を観て、それが暴かれた感じというか。

今は人が恐ろしくて、しょうがない。
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