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CURE キュアのnetfilmsのレビュー・感想・評価

CURE キュア(1997年製作の映画)
4.3
 とある精神病棟、患者の高部文江(中川杏奈)は精神科医(河東燈士)の前でHelmut Barzの『青髭―愛する女性(ひと)を殺すとは?』の一節を朗読している。トンネルの中の電球が点滅し、剥き出しになったパイプからは水が滴り落ちる。そこを桑野一郎(螢雪次朗)が足早に通り過ぎる。愛人との密会現場、浴槽に吊り下げられたビニール・カーテンが真っ赤に滲む。パトカーのランプ、現場に駆けつけその死体を見た刑事の高部(役所広司)は、凄惨な殺害現場に目を疑う。同僚刑事の安川(大鷹明良)の問いにも耳を貸さず、被害者の胸をX字型に切り裂くという殺人事件が、秘かに連続していることを訝しがっていた。犯人もその殺意も明確な個々の事件で、まったく無関係な複数の犯人が、なぜ特異な手口を共通して使い、なぜ犯人たちはそれを認識していないのか?高部の友人である心理学者・佐久間(うじきつよし)が犯人の精神分析を施しても、この謎を解く手掛かりは一向に見つからない。一方その頃、千葉の白里海岸を男(萩原聖人)が彷徨っていた。記憶喪失の男は偶然スケッチに来ていた小学校の教師(戸田昌宏)に助けられるが、ライターの火を見た途端、教師は男の不思議な話術に引きずり込まれ、魔がさしたように妻をXの字に切り刻み殺し、自らも2階から飛び降りる。その後、男は交番の警官・大井田(でんでん)に保護され、病院に収容されて同様の話術を繰り返した。警官と女医は、それぞれに殺人を犯し、被害者の胸を切り裂いてしまう。

 偶然に見えた殺人事件の渦で浮かび上がる接点、そこに浮上した記憶障害の男がもたらす炎と水の催眠暗示。人を殺せるはずのない男女は次々に殺人鬼へ変貌を遂げる。当初は事件の解決に熱心だった高部も、間宮の独特の話術の前に徐々に余裕をなくして行く。人それぞれが持つ心の穴は、高部にとって精神病を患う妻の文江の存在そのものだった。90年代の黒沢映画では往々にして夫と妻だけの家庭が登場するが、今作において2人の精神的距離は最も隔たっていると言っていい。ここでも高部は事件が解決したら、どこかへ旅行へ行こうと暗に「ここではないどこか」への旅に妻を誘う。文江も最初は固辞するが、彼女の寝室(夫のとは別)のテーブルの上には、沖縄の資料がうず高く積まれている。だが2人の旅路には最初から危険信号が灯っている。中盤以降、あの妙にリアルで怖い19世紀の映像を観たあたりからは弁証法に終始し、説明的な事態ばかりが提示されるきらいはあるが、だからと言って一発の銃声や爆弾では決して消去出来ない「感染」が彼らを支配する。エスタブリッシング・ショットを巧妙に挟んだところから、ラストまでの展開はほとんど完璧な心理アクションを展開する。クライマックスの場面で役所広司が拳銃を発砲した場面に明らかなように、物理的に彼の命を奪ったことが、平和にも安全にも世界の救済にも一向につながらないという皮肉、まさかのクライマックスに声すらも失う90年代の黒沢清を決定付けた衝撃の1本である。
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