むっしゅたいやき

SELF AND OTHERSのむっしゅたいやきのレビュー・感想・評価

SELF AND OTHERS(2000年製作の映画)
4.8
佐藤真。
素晴らしい。
「牛腸茂雄という写真家がいた─」。
こんなダイヤログから始まる本作は、西島秀俊と、カセットテープに残された牛腸本人の肉声を当てたポートレート集である。
彼の幾千枚、或いは幾万枚の写真の中から選ばれ、スクリーンに映し出される一葉一葉は、何れも澄明で涼やかな空気が揺曳している。
対象の持つエネルギーを可視化したセバスチャン・サルカドとは異なり、寧ろH.C.ブレッソンに近しい、静かで温かいドラマツルギーで撮影されている様に見受けられる。
其れでも、マチエール自体は正反対であるのだが。

本作は彼の著した三冊の写真集に基き、その撮影現場となった新潟県、東京の街を経巡り乍ら、ポートレートを映し出して行く構成となる。
佐藤の映す街・事物と、牛腸の映す人物、或いはその背景とには、当然隔世の感が有るが、矢張り何処か懐かしみを感じさせる雰囲気が通底している様に思われる。
言ってみれば、本作は牛腸と佐藤、二人のカメラを通し、タイムトラベルを体験させ、両者の世界・時代の間に横たわる間隙、空虚さを表した作品なのであろう。

『陰翳礼讃』では無いが、我々日本人は元来、陰と、その陽との間のあわいを好む嗜好を持つ。
障子を通した薄明かり、床に置いた照明の光の届かぬ部屋の隅等にまで、先人は情緒を見出して来た。
故に昨今の、「総てを明明白白に、鮮明に映し出す」と云う風潮には、私見乍ら「狭量過ぎやしないか」、と、疑念を感じて了う点もある。
其の中で本作の牛腸と佐藤の映像には、我々の慣れ親しんだ、あの自然な「あわい」が見え隠れしている様に思われる。
地面に写された、揺れる木の葉の影などは、其の最たるものの例の一つであろう。

牛腸茂雄の写真には、此方を凝っと見詰め返す人々が写っている。
「最近は自分の目を、真っ直ぐに見詰めて来るひと、居ないな」、と、また少し寂しくもなる師走である。

36歳の若さで夭折した牛腸は、九十九里に建設予定であった自宅の横に、一本の大木を植える予定であったと云う。
冒頭及びラストカットの風に葉を揺らす大木は、其れなのであろうか─。
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