TIFFにて。これはダメな長回し映画だ。
確かに、赤いタンクトップのオッサンが松明片手によく分からん場所を探索するオープニングショット、ヒロインの若い女性の部屋をカメラが旋回する2番目のショット、青年と女性が出会うディスコのショット(これは特に好き)、青年と女性が湖のほとりで焚き火するショット、ラストの老女がベンチでタバコを吸うショットなど、印象に残るショットもたくさんある。
が、やっぱり上記にしても長すぎるし、3時間も人を付き合わせるのは馬鹿げている。これらの長回しが失敗であることについては、その「症候」と言えそうな要素がある。無駄に思わせぶり(神秘的)な劇伴の多用である。そもそも昨今の映画には静寂が足りないと思う今日この頃だが、本作もご多分に漏れることなく、沈黙を劇伴で埋め合わせる。要するにショットが無内容だから、劇伴で誤魔化しているに過ぎない。
劇中で少女はフィルムカメラを使うが、監督は写真への思い入れが強いのだろう。写真は物語を匂わせることはできるが、物語を語ることはできない。この映画は映画でありながらも写真の水準にとどまろうとする。がしかし、どれだけ努力をしても映画は結局物語から逃げられないらしい。
映画は全く隠すことなく、タルコフスキーとアピチャッポンの影響の直下にある。映画全体をつらぬく水の主題系、湿気の充満するジャングルという舞台。主役と無関係な第三者の主題と無関係な運動……。が、巨匠たちの作品と本作は何が違うのだろうか。自分は長回しが好きだが、全部が好きなわけではない。その好悪の判断基準はどこにあるのか、いまだによく分からない。