【面倒臭い映画】
※ 「追悼ジャン=リュック・ゴダール映画祭」
ゴダールが昨年尊厳死を選択した。
彼は、この世界と決別したのだろうか。
いや、彼のこの世界での彼の役割と決別したのではないのか。
時々聞こえる得体の知れない声。
映画で聞く時は大概悪魔の声のように思う。
視点を変えれば、どこぞの神は悪魔になったりする。
それに、悪魔が実行すると姦淫だが、神がやるのであれば救済ということになったり。
映像と聖像について云々する場面がチラッとある。
少し違うが、偶像崇拝はダメで聖書によるべきと言ったところで、頭の中で思い描いていたらおんなじじゃないかなんて考えたりもする。
イスラム教では血を血で洗うような宗派の対立もある。
理屈をつけて、これは神の思し召し、これは悪魔の仕業、これは人間の業なんて分けて話したところで、実は、全部人間の考えたことじゃないのかなんて考える。
僕は、神道の神職の資格を持っているが、いつも思うのは、神様やパワースポットは人の心の中にあるということだ。
大変な人に手を差し伸べたり、マイノリティのことを考えたり、難民や貧困に喘ぐ世界の子供達を助けるために働く人に協力したり、そんなことを思いついたり、実行できたりすることが人の心に神様がいるということなのだと思う。
この映画は、正直、面倒臭い。