きゃんちょめ

ボウリング・フォー・コロンバインのきゃんちょめのレビュー・感想・評価

4.0
特異点についての映画だった。

この映画はアグリートゥディスアグリーについての話だった。非合理であることを合理的に認める話だ。

マイケルムーアは合理的()。全米ライフル協会のリーダー、チャールトン=ヘストンは非合理だ。

チャールトンヘストンはライフルをアメリカの精神であると言った。それが正しいのだ。非合理であることをそうやって、認めるなら、銃があってもいいかもしれない。

近代社会においてすら、必ず規定不可能な特異点が存在する。ミシェルフーコーの明らかにした主体概念とは英語でサブジェクトであり、サブ=ジェクトとは下に投げるという意味だ。主体である以前に、主体は特異点を中心に組織されてなければいけない。

近代社会を成り立たせているのは、非合理である。

銃がなければ人は死なない。それは、あたりまえの合理的な考え方だ。銃があることで、年間何万人も人が死んでいる。しかし、年間何万人死んだとしても、銃がなければならない。なぜなら、アメリカ社会はアメリカの特異点を中心に組織されたものだからだ。合理性を貫徹すると、いつも敵味方に分かれてしまう。ユニバーサルな理性とか言っていると、社会は不可能だ。なぜなら、社会はそもそも不可能だからだ。

社会というのは、どこかに特異点を引き受けてもらわなければ成立しようがない。


アメリカの精神とは銃である。
きゃんちょめ

きゃんちょめ