きゃんちょめ

夏物語のきゃんちょめのレビュー・感想・評価

夏物語(1996年製作の映画)
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【倫理学問題集】

1.【苦痛がないことがどれくらい良いことなのか問題】
「夜明け前の森の入り口に、あなたはひとりで立っている。あたりはまだ真っ暗で、自分がどうしてそんなところにいるのか、あなた自身にもよくわかってはいない。それでもあなたはまっすぐ進んで森のなかに入ってみる。しばらくすると小さな家が見えてくる。そっとドアを開ける。するとその家のなかには、十人の子どもが眠っている。十人の子どもは、ぐっすり眠っている。そこには喜びや嬉しさもないし、もちろん悲しみや苦しみといったものも存在しない。なにもないの、みんな眠っているから。そして、あなたはその十人の子どもたちを全員起こすか、全員眠らせたままにしておくか、どちらかを選ぶことができる。あなたがみんなを起こすなら、十人の子どもたちのうちの九人は起こしてくれたことを嬉しく思う。ありがとう、目覚めさせてくれてありがとうって、あなたに心から感謝する。けれど残りのひとりは、そうじゃない。その子には生まれた瞬間から死ぬまでのあいだ、死ぬよりも辛い苦痛が与えられることがわかっている。その苦痛のなかで死ぬまで生きつづけることがわかっている。それがどの子なのかはわからない。けれど十人のうち一人は必ずそうなることを、あなたは知っているの」(川上未映子著『夏物語』)


2.【殺すことと死ぬに任せることとは同じくらい悪いのか問題】

「In the first, Smith stands to gain a large inheritance if anything should happen to his six-year-old cousin. One evening while the child is taking his bath, Smith sneaks into the bathroom and drowns the child, and then arranges things so that it will look like an accident.

In the second, Jones also stands to gain if anything should happen to his six-year-old cousin. Like Smith, Jones sneaks in planning to drown the child in the bath. However, just as he enters the bathroom, Jones sees the child slip and hit his head, and fall face down in the water. Jones is delighted; he stands by, ready to push the child's head back under if it is necessary, but it is not necessary.

With only a little thrashing about, the child drowns all by himself, "accidentally," as Jones watches and does nothing.

Is Jones’ behavior was less reprehensible than Smith’s? (Rachels, James, “Active and Passive Euthanasia”)


第1の事例において、スミスは6歳のいとこに何かあれば莫大な遺産を受け継ぐ。ある夜そのいとこが入浴しているときにスミスは風呂場に忍び込み、彼を溺死させ、事故であるかのように見せかける工夫をする。

第2の事例では、ジョーンズも6歳のいとこに何かあれば莫大な遺産を受け継ぐ。スミスと同様、ジョーンズも入浴中の子供を溺死させようと忍び込む。しかし、ちょうど風呂場に入った時、子供は頭を打って風呂で溺れている。ジョーンズは喜び、必要なら頭を風呂のお湯の中へと押し戻そうとしたが、そんなことは必要なかった。ほんの少しもがいただけで、ジョーンズがただ見ていて何もしていない間に、子供は勝手に「不運にも」溺れたのだ。

さて、ジョーンズの行動はスミスの行動よりも非難されないものであったか?」

→人は自らの行動に責任を持つのみならず、偶然に起きたが予期しえた出来事に責任を持つのかどうか。殺したスミスと死ぬに任せたジョーンズが両者とも同様に非難されるべきならば、安楽死問題においては殺した積極的安楽死と死ぬに任せた消極的安楽死の両者とも同様に非難されるべきでないという立場の可能性が出てくることになるかもしれない(とはいえ、消極的安楽死とジョーンズの事例が似ているのは死ぬに任せているという一点のみであり、ジョーンズに利己的な理由があることとか、自然寿命が尽きるという死に方ではなく溺死という死に方であることなど、消極的安楽死と似ていないところも多い) 。ところが日本では、須田セツ子さんが1998年に積極的安楽死を実施したことで殺人扱いされて有罪判決を受けたという。


3.【焼死させるよりも即死させるほうがいいのか問題:高瀬舟事例】
「A lorry driver is trapped in the cab. The lorry is on fire. The driver is on the verge of being burned to death. His life cannot be saved. You are standing by. You have a gun and are an excellent shot and know where to shoot to kill instantaneously. The bullet will be able to penetrate the cab window. The
driver begs you to shoot him to avoid a horribly painful death. Would it be right to carry out the mercy killing? (Tony Hope, Medical Ethics: A very Short Introduction, 2007)

トラックの運転手が運転席に閉じ込められている。トラックは燃えている。運転手はこのままだと焼け死んでしまいそうである。彼の命は助けられそうにない。あなたは現場にいる。あなたは拳銃を持っている優れた射撃手であり、即死させるためにはどこを射てば良いのかも知っている。弾丸はトラックの窓を貫通することが可能である。運転手は、恐ろしい苦痛を伴う死を避けるために自分を射ってくれと頼む。安楽死を実行することは正しいだろうか?」



4.【動機として義務への尊敬感情しかなく友情がない場合に感謝はできるのか問題】
「Suppose you are in a hospital, recovering from a long illness. You are very bored and restless and at loose ends when Smith comes in once again. You are now convinced more than ever that he is a fine fellow and a real friend ― taking so much time to cheer you up, traveling all the way across town, and so on. You are so effusive with your praise and thanks that he protests that he always tries to do what he thinks is his duty, what he thinks will be best.
(Michael Stocker, The Schizophrenia of Modern Ethical Theories, 1976)

Is the act of your friend Smith, who comes to see you from a sense of duty, worth sincere appreciation?

あなたが長期入院していると仮定しよう。ひどく退屈していて気が落ち着かず手持ち無沙汰な時に、スミスが2度目のお見舞いにやってくる。彼はいいやつで本当の友達だとあなたはかつてなく思う。彼はあなたを元気付けるためにこんなに時間を割いてはるばる町からやってきて、いろいろしてくれるのだ。ありがたいという気持ちでいっぱいになってあなたは彼にお礼を伝えるのだが、彼は自分が義務だと思うこと、最善だと思うことをいつもやろうとしているだけだと主張する。
義務感からお見舞いに来てくれる友人スミスの行為は心からの感謝に値するか?」
きゃんちょめ

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