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『巣鴨日記 あるBC級戦犯の生涯』に投稿された感想・評価

さて、本日2度目の映画鑑賞。本作も実に興味深かった。

本作ではある場面で、「これは多くの人に知られていない」と説明される事実がある。まずはその話から始めようと思う。

「A級戦犯」という言葉はきっと誰もが聞いたことがあるだろう。東條英機ら28人の「戦争主導者」たちが東京裁判で裁かれ、最終的に7人が絞首刑になった。これはよく知られている事実だと思う。

その一方で、「BC級戦犯」と呼ばれた人たちもいた。確かに、その言葉の響きは聞いた記憶があるように思う。ただ、どういう人がどこでどのような扱いがなされていたのか、ということについて僕は知らなかったし、一般的にも広く知られている事実ではないそうだ。

BC級戦犯とは、いわゆる「戦争犯罪人」を指すのだが、「戦勝国であるアメリカが敗戦国である日本を裁いている」という性質上、扱われる「戦争犯罪」というのは「捕虜虐殺」が主なものだったそうだ。実に5700人もの民間人を含む人たちが、7ヶ国49の法廷で裁かれ、最終的に920人が処刑されたという。日本においては唯一、米軍に接収された横浜地方裁判所において、BC級戦犯を裁く横浜軍事法廷が開かれ、そこでは51人に死刑判決が下されたのだそうだ。

そして、そんな横浜軍事法廷で死刑判決下された1人が、本作においてメインで取り上げられる人物である冬至堅太郎である。彼はBC級戦犯として32歳の時に巣鴨プリズンに収監された。そしてその獄中での生活を日記という形で残していたのである。1946年から1952年に掛けての6年分の日記が現存しており、本作中でも幾度も引用されていた。

さらに、非常に稀有なことに、横浜軍事法廷における冬至堅太郎の裁判記録が、日本に残っているのである。

アメリカが主導して行われた裁判なので、裁判記録は基本的にアメリカが持ち帰った。もちろん、アメリカの公文書館などで保管されているだろうし、手続きを踏めば閲覧も可能だろう。しかし冬至堅太郎の裁判記録は、日本に存在している。それは、彼の弁護を担当した横浜弁護士会の桃井銈次が、提出しろという要請を無視して保管し続けたからだ。

今回の上映においては、上映後に監督らによる舞台挨拶が行われた。この記事でも随時、その舞台挨拶の中で語られた話にも触れていくつもりだが、その中で、監督と共に登壇した大学教授が、「巣鴨プリズン以外の場所で収監された者は、日記のような形で記録することも許されなかった」みたいなことを話しており、だからこそ、「日記」と「裁判記録」が共に揃っている冬至堅太郎のケースは非常に稀だと言っていいと思う。

また監督は、BC級戦犯について広く知られていない理由について、記録が存在しないことに加え、「死刑判決を免れた者たちも、『戦争犯罪人として裁かれた過去がある』という事実を積極的に話そうとせず、何も語らない者も多かった」みたいに言っていた。そういう意味でも、冬至堅太郎の記録は貴重だと言っていいだろう。

そして本作は、そんな人物を入口に、そしてベースにしながら、知られざるBC級戦犯について深堀りしていく作品である。

さて、冬至堅太郎について触れていく前に、1つ触れておくべきことがある。それは「戦争犯罪とは何か?」という話である。

舞台挨拶に登壇した大学教授は、本作にも出演しており、そこで「『戦争犯罪』と聞くと、どうしても『犯罪』の方に力点を置きがちだが、実際には『戦争』の方に着目すべき」という話をしていた。というのも、BC級戦犯として裁かれ死刑判決を受けた者の多くは、「上官に命令されて捕虜を殺した者」だからである。もう少し日常的な例に引き寄せれば、「上司に命令されて不正を働いてしまった」みたいなことに近いのである。

現代であれば、上司からの命令を無視したとしても、公益通報制度や労働基準局など、どの程度機能しているのかは分からないものの、「上司の指示に従う」以外の選択が取れる環境があるし、だからなかなか実感しにくいかもしれない。しかし戦時中は、「上官の命令は絶対」という世界だったのだ。上官の命令を拒否することなど、普通は出来なかった。そういう中で、上官に命令されて米兵を殺してしまった者たちが、BC級戦犯として裁かれ、死刑に処されているのである。

つまり、もしも日本が再び戦争状態になれば、「誰しもがBC級戦犯になり得る」ということを意味しているのである。

この点に関しては、舞台挨拶で「取材の苦労」を語る監督の話が興味深かった。

そもそも、BC級戦犯に関する資料が日本の公文書館で公開されるようになったのは1999年頃だったそうだが、人名は基本的に黒塗り、いわゆる「ノリ弁状態」で分からなかったという。さらに、どうにかして個人の特定に成功しても、もちろん本人は亡くなっているわけで、その子孫に連絡を取ることになる。しかしやはり、「祖先がBC級戦犯だった」というのは聞こえが悪いからだろう、断られることが多かったという。

しかし中には、BC級戦犯の子どもはOKしてくれる、みたいなこともあった。ただそういう場合でも、その孫からNOが出ることがあったという。話を聞いてみると、孫は現代的な感覚で物事を捉えており、「戦時中とは言え、人を殺したから裁かれているわけですよね?それはやはり聞こえが悪いので取材を受けたくない」みたいな反応なのだそうだ。

つまりこれは「戦争犯罪」の「犯罪」の方を強く受け取っており、「戦争」という前提条件が上手く理解できていないということなのだと思う。「戦時中とは言え人を殺すなんてダメだ」みたいな価値観は、確かに平和な国に生まれ育った人からしたら当然の感覚かもしれないが、やはりそれは「戦争」というものへの解像度があまりにも低いと言わざるを得ないようにも思う。本作を観れば、「日本が再び戦争をし、負ければ、誰もがBC級戦犯として裁かれる可能性がある」と理解できるはずだ。

そういう想像力を持ちながら、彼らの人生を追うべきなのだと思う。

そんなわけで、「上官の命令だったんだから仕方ない」的なことをあれこれ書いてきたのだが、実は、冬至堅太郎はそうではなかった。自らの意思で米兵を殺したのである。というわけで、ここからはしばらく、彼がいかにして巣鴨プリズンに囚われ、死刑判決を受けるに至ったのかという話に触れたいと思う。

福岡の和文具店に生まれ育った堅太郎は、東京商科大学(現・一橋大学)を卒業後すぐに召集された。中国に3年いた後、福岡の西部軍司令部で主計中尉として臨時召集された。そしてそこで、運命の日を迎える。1945年6月19日に起こった福岡大空襲である。1500トンもの焼夷弾が降り注ぎ、死者行方不明者合わせて1000人以上という多大な被害を出したのだが、その被害者の中に、最愛の母ウタがいたのである。

さて、西部軍司令部の近くには、九州中から集められた米軍の捕虜を収容する場所があったのだが、ある日ふと見てみると、そこでB29の搭乗員の処刑が行われていた。その光景を目にした堅太郎は、「私こそ処刑人として相応しい」と、ここで母の仇を取るべきだと考えた。そして自ら銃剣を取り、4人の米兵を殺害したのである。

終戦を迎えると、冬至堅太郎は「自分は恐らく戦犯として捉えられるだろう」と考えるようになった。周囲の人間は、「逃亡」や「嘘の証言」を勧めたが、彼はそうするつもりはなかった。妻も子どももいたが、捕まるだろうと分かった上で「真実を唯一の道として選ぶ」ことに決めたのである。

こうして彼は1946年4月に土手町刑務所に勾留され、その後巣鴨プリズンに移された。そして横浜軍事法廷での裁きを経て死刑判決を受けたのである。

彼は桃井弁護士から「厳しい闘いになる」とあらかじめ言われていた。やはり、自らの意思で米兵を殺したことが致命的だという。もちろん、冬至堅太郎もそのことは理解していた。ただ彼は、「処刑者としては罪を負うが、殺人者としては罪を負いたくない」と考えていた。あくまでも「最愛の母を殺した連中を処刑した」という認識であり、「殺人者として裁かれることは許容したくない」と思っていたのである。彼のこの希望が裁判でどう扱われたのかよく分からないが、いずれにせよ彼は死刑判決を受けてしまった。

さらに彼は、「裁判で証言台に立ちたい」とも桃井弁護士に相談していた。しかし実際には、彼のように直接米兵に手を下した者は、証言台に立たせてもらえないことの方が多かったという。彼は裁判において、自分の口から何も説明できないまま判決の日を迎えたのである。

さて、僕は以前『東京裁判』という映画を観たことがある。これは先程も紹介したA級戦犯の裁判の記録映像を基にしたドキュメンタリー映画であり、それを観て僕は「東京裁判が思いがけずフェアに行われていたこと」に驚かされた。民主主義の国らしく、アメリカの弁護士が「正当な裁判を受ける権利がある」と、A級戦犯の弁護を買って出たりしていたのだ。かなり意外だったことを覚えている。

それと同じように、BC級戦犯の裁判もフェアに行われていたのかは僕にはよく分からない。冬至堅太郎の裁判記録を検証している横浜弁護士会の弁護士(名前を忘れてしまったが、舞台挨拶では、彼が去年亡くなってしまったと紹介されていた)も、「しっかりした議論がなされていなかった可能性はあるでしょう」と話していた。しかしそれでも彼は、「この裁判には意味があった」と言っていた。というのも、「裁判が行われたからこそ記録が残っているわけで、記録があるから検証が行えるからだ」というのである。確かにその通りだなと感じた。

また舞台挨拶で監督が、同弁護士が「過去の裁判記録を検証する意味」について語っていた話を紹介していた。それは「過去の惨禍を検証するため」なのだそうだ。日本国憲法には、【(前略)政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。】という記述がある。そして「戦争の惨禍が起こることのないようにする」ためには、「そもそも『戦争の惨禍』とは何だったのかを知らなければならない」のである。だからこそこうして過去の検証をする必要があるのだ、と語る弁護士の話を聞いて監督は、これまで「どうして戦争のことを伝えようとするのか」と聞かれて答えられなかったモヤモヤがすっきりしたみたいなことを言っていた。

さて、裁判においては、「米軍による無差別空襲は国際法違反だ」という点を争った人物がいたという。岡田資という人物で、結局彼も死刑判決を受けたそうだ(ただ、部下を庇ったと紹介されていたので、彼の部下だった者たちは助かったのかもしれない)。

僕はちょうど昨日、『東京大空襲』というドキュメンタリー映画を観ていて、その中にも少し同じような議論があったと思う。国際法では確か、「民間人を殺すこと」を禁じているはずで、そういう観点から考えれば「無差別空襲」が国際法違反に当たるという主張も筋が通るように思う。本作『巣鴨日記』ではこの点に関してそこまで突っ込んだ描写はなかったので、どういう議論になったのか分からないが、やはり戦勝国による裁判なのだからその辺りはスルーされたと考えるのが自然だろう。

さて、後半では、「石垣島事件」と呼ばれる捕虜虐殺事件が扱われる。最終的に7人に死刑判決が下ったのだが、その内の1人である藤中松雄という人物に後半は焦点が当てられていく。こちらについても、公文書館で取り調べや裁判の記録が見つかったり、あるいは冬至堅太郎の日記に死刑台に向かう直前の様子が記録されていたりと、期せずして情報が多く残っている人である。そしてまた、この「石垣島事件」の面々の死刑執行は、結果として巣鴨プリズンにとっても大きな一区切りとなるわけで(詳細には触れないが、冬至堅太郎にも関係するそれ以降の展開には、正直結構驚かされた)、そういう意味でも印象的だったなと思う。

さて、冬至堅太郎は『世紀の遺書』という本の出版にも関わっている。BC級戦犯ら701人分の遺書を収録した作品である。そして、本作ではその一部分が紹介されており、多くの人が「戦争は絶対に反対」「恒久的な平和を望む」「子々孫々に伝えてくれ」みたいなことを書いていたのが印象的だった。

「戦争反対」とか「平和を望む」みたいな言葉は、現代でもよく見聞きすることではあるが、どうしてもそこには「実感」が伴わない印象がある。もちろん、ウクライナやパレスチナなど紛争地域にいる、あるいはそこから逃げてきた人たちの言葉であれば強く重みを感じられるが、長い事直接的に戦争には関わっていない日本において、戦争を直接的に経験したことがない日本人がそういう主張をしても、どうしても響きにくい部分はある(もちろんそうだとしても、主張し続けることに意味はあると思っているのだが)。

ただ、「戦争反対」「平和を望む」と言った言葉を遺書に遺した者たちは、まさに切実な想いを抱いてそう書き残しているわけだ。戦争のあまりの無意味さや、個人の無力さ、家族などへの膨大な迷惑、そして死刑判決を受けた自身の未来。そういったものをすべて眼前に突きつけられた上で、「戦争反対」「平和を望む」と書いているのである。

その言葉はやはりしかと受け取るべきだし、子々孫々まで伝える努力をすべきだなと思う。

さて最後に。冬至堅太郎がある場面で印象的なことを口にする場面があった。それは、「日本は、加害者としての国民全体の反省がない」というものだ。また舞台挨拶の中で大学教授も、「日本は、アジア各国に対する加害についても考えなければならない」と言っていた。この点に関しては、以前観た映画『蟻の兵隊』を思い出す。終戦後も上官の命令で中国に残らされ、中国の内戦を4年も闘うことになった「中国残留部隊」の1人である奥村和一を取り上げたドキュメンタリー映画なのだが、彼には、「訓練で、上官の命令により、罪のない中国人を殺した」という過去もあった。

それまで奥村和一は「自分は被害者である」という意識で主張・発信を続けていたわけだが、自身が成した加害についても改めて思いを馳せ、行動や思考を変えていったと、『蟻の兵隊』の監督が話していた。それはとても勇気の要ることだと思うのだが、奥村和一は「加害者としての過去」もきちんと背負いつつ前に進む決断をしたのである。

第二次世界大戦でアジア各国に様々な加害を成した日本も同じように反省すべきだし、改めてそんな風にも思わせてくれる作品だった。
azusa
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A級戦犯が東京裁判で死刑判決を受けて刑死したのは知っていたけど、BC級戦犯でこんなに膨大な人数が死刑判決を受けたなんて知らなかった。本作では横浜で開かれた裁判中心だが、BC級戦犯は海外の法廷で裁かれた人の方が多いらしい。しかも横浜ですら被告人は証言台に立つことができず、舞台挨拶での話によると海外で被告人となった人々は遺書や遺言すら残す猶予がない状況もあり得たとのこと。作中には印象的な言葉が頻発するが、「誰もが冬至さんであり得た」「死によってすべての人間は生まれながらに死刑囚だ」という言葉が特に印象に残った。戦争について知らない世代が無知によって強い言葉で暴走しがちな現代において、一度立ち止まって戦中戦後を生きた人々の生の言葉を傾聴するべきではないだろうか。本作を通して私自身も戦争について、人と人が国家を背負って殺し合うとはどういうことなのか何も知らないのだと思い知った。