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東京大空襲 CARPET BOMBING of Tokyo
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東京大空襲 CARPET BOMBING of Tokyoの作品紹介

東京大空襲 CARPET BOMBING of Tokyoのあらすじ

1941年12月8日、日本軍の真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まる。華やかだった戦前の東京、浅草も終戦間際には焼夷弾の攻撃により、人も家も何もかもが焼き尽くされた。その渦中にいた上野は、言問橋を渡り逃げ込んだ家から見た火災扇風に人が巻き上げられていた。笹川は浅草から上野方面に逃げるが進めない。同じ時、深川では濵田が炎を潜り抜け清澄庭園に逃げ込み、関野は中川の土手沿いの防空壕で耐えた。 その後に続く表参道への山の手空襲では泉が見た死体の山、終戦間際に襲われた八王子では焼夷弾と機銃掃射の攻撃で、石井の目の前で母子が撃たれる。 一方、荏原では焼夷弾の消火、遺体の処理をした今野は記憶を80年間胸にしまってきた。 いったい東京で何が起きていたのだろう。

東京大空襲 CARPET BOMBING of Tokyoの監督

松本和巳

原題
公式サイト
https://tokyobomb.click/
製作年
2025年
製作国
日本
ジャンル
ドキュメンタリー

『東京大空襲 CARPET BOMBING of Tokyo』に投稿された感想・評価

これは実に興味深い映画だった。

映画は基本的に、「第二次世界大戦中の、東京での大空襲を体験した人たちのインタビュー」で構成されている。合間合間に昔の映像が挿入されたり、あるいは証言者の証言以外の行動が映し出されたりするのだが、8割以上がインタビューによって構成されていると言っていいだろう。

個人的にまず驚かされたのが、話をする人たちが実に明晰に語ること。東京大空襲から今年で80年。証言者たちの空襲当時の年齢は様々だが、大体15歳以下といったところ(1人、空襲当時20歳という方がいたが)。となると、証言している人たちの年齢は概ね、85歳から95歳と言った感じになる(ただ、インタビューしていた時期がいつか分からないので、撮影時の年齢はもう少し若かったかもしれない)。

そして本作に登場するほとんどの人が、とにかく非常に明晰に当時のことを語るのだ。これには驚かされた。正直、人によっては、今の若い人の方が要領を得ない説明しか出来ないんじゃないかという気もする。必要な情報を過不足なく入れながら、具体的に詳細に語る姿に、まずはちょっと驚かされてしまった。

さて、本作では主に、「東京大空襲」「山手空襲」「八王子空襲」の3つが取り上げられている。そして、それぞれの空襲を直接的に経験した人(避難したり、多くの死体を見たりした人)や、空襲の炎などを遠くから目撃していた人などの話をまとめているというわけだ。

個人的には特に、浅草周辺が壊滅的な被害を受けた「東京大空襲」の話が興味深かった。というのもまさに今僕が浅草に住んでいるからだ。作中ではいくつか小学校の名前が出てくるのだが、その内の1つは、僕が普段投票の際に行くところである。メチャクチャ近い。証言も、なんとなくどの辺の話をしているのか分かる感じがあり、そういう意味でも興味深かった。

また、「東京大空襲」に関しては、雷門の前にいる外国人観光客に「東京大空襲を知っているか?」と質問を投げかける映像も挿入された。多くの人が、「広島や長崎のことは知っているけど」と、浅草が壊滅的な被害を被った東京大空襲のことは知らないようだった。東京大空襲では、2時間半で10万人もの人が亡くなったとされており、当時の被害写真を目にした外国人は、「こんなことが起こっていたなんて」と驚きを口にしていた。

さて、証言者の話で言えば、やはり実際に空襲に遭い、巻き込まれたり逃げたりした人たちの話が興味深い。当時はなんと、「もしも自宅に火がついたら、家の火を消すまで家族は避難するな」みたいなお触れが出ていたそうで、凄まじい話だなと思う。また、戦争が始まってから多くの家庭で「防空壕」を作ったそうだが、それは「防空壕」とは名ばかりの、ただ地面に穴を掘っただけの代物であり、実際にはまるで役に立たなかったと語る人が多かった。実際、空襲の際に防空壕に逃げ込み、窒息死したり、高温のために熱死したみたいな人もいたそうだ。

そしてさらに印象的だったのが、「隅田川が死体で一杯だった」という話。原爆の被害の話でも、「熱いから川に飛び込んだ人たちが折り重なるように死んでいた」みたいな話を聞くが、東京での空襲の際も同じだったそうだ。ある証言者は、「綺麗な身体の死体が川に整列するように並んでいた」みたいなことを言っていたと思う。

またある人物は、「マンホールの中に、マネキンのような死体があった」と証言していた。髪も服も燃えてしまったため、まさにマネキンのような状態で亡くなっていたというのだ。本当に凄まじい状況だったのだなと思う。

空襲の後、当然死体の処理をしなければならないわけだが、これに関しても様々な証言が存在した。空襲から半年ほど経ってから現れた死体を見に行った当時少年だった証言者は、「とんでもない臭いで、3日ぐらいご飯を食べられなかった」と言っていた。ある人物は、トラックに死体を詰め込んでトタンを載せ、それを別の場所に積み上げていたのを目撃したと言っていたし、川に浮かんでいた死体は、底にあったものほど凄まじい臭いだったそうだ。

ただ個人的に一番衝撃的だったのは、「警察官が死体の内臓を切り取っていた」という話だ。火葬場も埋葬場所も足りないわけだから、しばらく死体は放置しておくしかない。東京大空襲は3月10日の出来事で、当時の気候は知らないが、徐々に暖かくなる頃合いだろう。だから、腐敗しないようにと、内臓だけ切り取るという処置をしているのを見たというのだ。仕方なかったのだろうとは思うが、やはり凄まじい状況だなと思う。

さて、本作には時々、書籍からの引用など「長文の文章」が表示されることがあるのだが、とにかくその字が小さすぎて全然見えなかった。配信で観るならあれぐらいの大きさでも問題ないかもしれないが、映画館で観るにはちょっと無理があるサイズに感じられた。特に、客席にはお年寄りも多かったので、彼らはまったく見れなかったんじゃないかとも思う。

そんなわけで、何が書かれていたのかちゃんと見えないものが多かったのだけど、作中のどこかで確か、「『広島・長崎の原爆投下』と『東京大空襲』は、過去の戦争の事象においても最も酷いものに数えられる」みたいなことが書かれたアメリカか何かの報告書の文章が表示されたように思う。詳しい説明はなかった気がするが、恐らく「多大な民間人が亡くなった」みたいな意味においてではないかと思う。ホロコーストのように、さらに多くの民間人が亡くなった出来事もあるわけだが、「無差別」という意味においても原爆と空襲は突出しているのかもしれない。

さて、「東京から始まり、全国に空襲が広まっていった」みたいなことはもちろん知っていたが、本作では初めて知った知識もあった。何人かが「機銃掃射」を経験したというのだ。

空襲の場合は、まずは照明弾を落とす飛行機がやってきて、それから焼夷弾を落とすB29が飛んでくる。とにかくB29の爆音が凄くて、それ以外の音が存在しないみたいな世界になるそうだ。しかし、B29はかなりの上空から焼夷弾を落とす。ある人物は、「B29が焼夷弾を落としたのを目にしてから、それが実際に地上に落ちてくるまでは結構時間が掛かった」みたいなことを言っていた。ちなみにその人物は、焼夷弾が降ってくる様子を見た母親が「花火みたい」と言ったのを聞いて、「なるほどあれが花火なのか」と思ったと言っていた。戦争が始まってからは、花火など見る機会がなかったのだそうだ。

それで、機銃掃射の場合は、グラマンという飛行機が地上近くまで降りてきて、上から銃をぶっ放す。ある人物は、自分は見ていないが友人が「グラマンに乗った兵士の顔を見た」と言っていたのを聞いたという。また別の人物は、「空の薬莢がトタン屋根のニワトリ小屋に落ちてもの凄い音を立てたし、それからしばらくニワトリは卵を産まなくなってしまった」みたいなことを言っていた。空襲だってもちろん最悪だが、銃で直接狙われるのもちょっと酷い話だろう。米軍は恐らく、民間人だと分かっていても撃ってきたのだろうし。恐らくだが、現代の戦争では、「明らかに民間人だと分かる人間が機銃掃射を受ける」なんてことは恐らくないだろう。そういう意味でも、かなり特異的な状況だったと言っていいのだろうと思う。

さて、本作では「戦争孤児」についても取り上げていた。そもそも「空襲を経験した人」を探し出すのもかなり大変だったようで、映画の序盤で「探し始めてから2ヶ月は、誰も見つけ出せなかった」みたいな字幕が表示された。空襲についての証言集みたいなものが出版されたことがあり、それらから名前や住所を拾って手当たり次第に探したのだが、やはり亡くなっている人が多かったという。

そしてさらに困難を極めたのが「戦争孤児」の捜索だったようだ。本作では、空襲について証言する人は15~20人近くいたと思うが、戦争孤児として登場したのは2人だけだった。戦後、戦争孤児を受け入れていた東京養育院から辿っても全然ダメで、相当苦労したようだ。ちなみに、空襲経験者の中に、「母親が戦争孤児を受け入れる施設を作り運営していた」という人がいて、彼女は空襲と戦争孤児の両方の証言をしていた。

戦争孤児になってしまうパターンは色々あったと思うが、本作中では「子どもだけ疎開させている」という話が出ていた。「空襲の前日に疎開先から戻ってきた」と言っていた女性は、「子どもだけ疎開させたって、親が死んじゃったらどうするの?」みたいなことを言っていたと思う。本作に登場した2人の戦争孤児は縁戚に引き取られたそうだが(しかし、虐待もあったし、「死んだ方がマシ」と感じたりと大変だったそうだ)、多くはそのまま浮浪者にならざるを得なかった。

空襲の証言者の1人が、戦後に高校に通っていた時のエピソードを話していた。上野駅の高架下(銀座線から地上に上がってくる通路)の話だったと思うのだけど(ただ、別の人の話と記憶が混ざってる可能性がある)、彼は高校に通う際、そこを通っていたそうだ。そしてそこは、他の場所よりも暖かかったから、浮浪者が多くいた。そして、寒い時期は特に、その通路の両脇の壁に白墨(チョークじゃなくて白墨と言っていた)で「◯」が書かれることがあるのだそうだ。誰に向けてのサインなのかよく分からなかったが、それは「そこにあった死体を回収した」という意味だったそうだ。だからその証言者は、寒い日になると特に、「今日は寒いなぁ。通路に「◯」が書かれているかもなぁ」と思い、憂鬱だったそうだ。実に生々しい証言である。

また当時「狩込」と呼ばれる、浮浪者を施設に無理やり収容するみたいなことがよく行われるようになったそうだ。なんとなく「施設の方が路上生活よりもいいんじゃないか?」という気もするが、そうでもなかったそうだ。母親が戦争孤児を引き取る活動をしていた女性は、「友人が東水園に連れて行かれた」みたいな話をしていた。東水園とは、人工島に作られた施設だったようで、「人工島に戦争孤児を隔離すれば逃亡しないだろう」という発想だったようだ。しかし実際には、抜け出して水死するような人もいたという。その女性の友人は泳いで逃げてきたらしいが、その当時は東水園の酷さを知らなかったみたいなことを言っていた。まったく、酷い話だなと思う。

「警視庁のカメラマンだった父親が、東京大空襲の写真を撮り、GHQに接収されないようにフィルムを庭に埋めた」「別の場所で空襲があったという話は耳にしていたけど、まさか自分のところにも空襲が来るなんて想像もしていなかった」「それまで日本は戦争に負けたことがなかったから、『死』というのは『名誉の死』だった。だから『死』は怖くなかった」「兄が特攻隊に入れられ、飛行機が無くて生きて帰ってこれたが、モルヒネ中毒で戦後は苦しんだ」など、色々と興味深い話が出てくるのだが、恐らくインタビューの最後に全員に聞いたのだろう、「アメリカを憎んでいますか?」みたいな質問に対する返答がまとめられている箇所があり、それらもかなり興味深かった。

意外という感想で間違っていないと思うのだが、多くの証言者が「アメリカを憎んではいない」みたいなことを言っていた。ここは少し正確に書くべきだと思うので、いくつか具体的に書くが、「アメリカという国のことはともかく、アメリカ人のことは嫌いになれない」「アメリカのことは別に嫌いじゃないんだけど、『アメリカに行く』ということにはどうにも抵抗がある」「アメリカのことなんか全然憎んでませんよ。戦争のことは悪いですけどね」のような返答があった。

ただ、戦争孤児として登場した女性はまったく違う感想で、そして非常にインパクトのあるものだった。彼女は「アメリカは嫌い」とはっきり口にしていた。そしてそれを示すエピソードとして、戦後アメリカ兵が配ったというチョコレートの話をする。彼女もまた空腹だったので、落ちていたチョコレートを拾って口に入れたが、やはりどうしても「悔しい」という気持ちを抑えられず、口にいれたチョコレートを出して、そのまま踏んづけたと言っていた。恐らく死ぬほど空腹だっただろうに、それでも一度は咥えたチョコレートを踏んづけるぐらいには憎んでいたというわけだ。それぐらいの苦労をさせられたということだろうし、「憎しみは何も生まない」とは思うけれども、そういう感情を抱いていても全然いいと僕は思う。

そんなわけで、そもそも貴重な証言ではあるのだが、年齢的に今回の映画に収録された証言がかなりギリギリという感じもするし、そういう意味でもより貴重と言っていいだろう。「国境なき医師団」の人が出てきたり、ウクライナの戦争の映像が使われたりと、現在の戦争との繋がりも感じさせる構成になっている。色んなことを考えさせられるのではないかと思う。
4.7
東京大空襲の体験証言だけでなく、平和観や人生にも踏み込まれてて良かった。戦争は人間を変える、という言葉が重い。そう悪くない人間を悪人に仕立てあげてしまうのだ。

#東京大空襲
#シネリーブル池袋
#被害が大きかった言問橋付近
#80年経ってもまだ渡れないという
#戦争は人間を変える
#空襲で親を亡くし引き取られた叔母に生き残らなければ良かったのにと言われた子供
#そんな人間的に悪くない叔母を戦争は変えてしまった
#子供だけを疎開はなぜと。親だけ死んで孤児だけ生まれた
#今は戦前と似ているとの証言を聞き捨ててはならない
#映画好きな人と繋がりたい
#頑張ろう映画館
#映画館で是非
3.5
記録として

#2025014